中学校の歴史

現在の中学校ができるまで

昔から現在の6年生の中学校出会ったわけではなく。色々な形を経て現在の中学校になっています。このページではその歴史の一端を紹介します。
1685年(貞享2年):長崎県の対馬藩において家臣の子弟を教育するために中学校を設置。名称としては「中学校」が初めて使われたが実態は寺子屋。
1702年(元禄15年):岩村藩の藩主松平乗紀が藩校「文武所(のち知新館)」を設立(数え年8歳で入学し20歳まで就学)。のちの岐阜県恵那市立岩邑中学校。
1794年(寛政6年):加賀藩(石川県)において能美郡小松町に小松學問所(集義堂)を設立。のちの石川県小松市立芦城中学校。
1805年(文化2年):西条藩(愛媛県西条市)に藩の学問所「擇善堂」を設立(武家の男子7歳から就学)。のちの愛媛県西条市立西条中学校。
明治以前:藩学・藩校。武士やそれに準ずる階級しか入れないため、農工商の子供は寺子屋や郷学といった私塾、手習い所に通った。
1869年(明治2年):日本初の近代中学校となる上京第二十七番組中学校(現在の京都市立京都御池中学校)と下京第十四番組中学校(後に修徳中学校) が京都の町衆の寄付により設立。
1872年(明治5年):学制発布により中学校尋常科が発足
1873年(明治6年):日本初の国立中学校である官立東京師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校)設立。
1875年(明治8年):約2万4千校の中学校が全国各地に設置
1886年(明治19年):第1次中学校令で、尋常中学校(尋常科)4年間が設置。尋常中学校が義務教育期間となった。
1889年(明治22年):山形県鶴岡町(現鶴岡市)の私立忠愛中学校で日本初の給食。創立者の僧侶が貧しく弁当を持ってこられない子供のためにおにぎり・焼き魚・漬け物を支給。※明治25年という説もあり。
1890年(明治23年):第2次中学校令が改正され、尋常中学校の修業年限が3年または4年となる。
1900年(明治33年):第3次中学校令が改正され、尋常中学校の修業年限が4年で統一される。
1907年(明治40年):澤柳政太郎文部次官の下、尋常中学校が6年間となった。
1930年(昭和5年):学校給食臨時施設法が制定された。(戦時中は食糧事情悪化のため中断されている)
1941年(昭和16年):初等教育が国民学校となり、中学校に当たる6年は国民学校の初等科として設置された
1947年(昭和22年):学校教育法が施行され、現行の中学校となった。1947年の学校教育法になり、それまでの修身・公民・地理・歴史がなくなり社会科まとめられたり、家庭科や自由研究の時間が設けられた。

それぞれの時代を年齢別に見ると以下のようになります。
年齢1900年1907年1941年1947年
6歳尋常中学校1年尋常中学校1年国民学校初等科1年中学校1年
7歳尋常中学校2年尋常中学校2年国民学校初等科2年中学校2年
8歳尋常中学校3年尋常中学校3年国民学校初等科3年中学校3年
9歳尋常中学校4年尋常中学校4年国民学校初等科4年中学校4年
10歳高等中学校1年尋常中学校5年国民学校初等科5年中学校5年
11歳高等中学校2年尋常中学校6年国民学校初等科6年中学校6年
12歳高等中学校3年高等中学校1年国民学校高等科1年中学校1年
13歳高等中学校4年高等中学校2年国民学校高等科2年中学校2年
しかし国民学校って、さすが戦時中の名称ですね。

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