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2016年東彼杵町立彼杵小学校へ統合 歴史1877年(明治10年)創立。2012年(平成24年)に創立135周年を迎えた。学校教育目標「夢や希望の実現に向けて、見通しを持ち自立できる児童の育成」校章中央に校名の「音小」の文字(縦書き)を置いている。校歌1960年(昭和25年)7月に制定。作詞は堀池正夫、作曲は深町一郎による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「音琴」が登場する。校区住所表記で「長崎県東彼杵郡東彼杵町」の後に「小音琴郷、浦郷、大音琴郷、口木田郷」が続く地区。中学校区は東彼杵町立彼杵中学校。
沿革
1877年(明治10年)- 大音琴郷浜田に「彼杵小学校 音琴分校」が設置される。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡制の施行により、彼杵郡が東西に分割され、東彼杵郡に属することとなる。
1880年(明治13年)12月 -「 蔵本小学校 音琴分校」に改称。
1881年(明治14年)5月 - 「公立中等彼杵小学校 音琴分校」に改称。
1886年(明治19年)
5月 -「尋常彼杵小学校 音琴分校」に改称。
9月 - 大村(現・大村市立大村小学校前)に「長崎県第十一高等小学校」が設置される。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、彼杵村立の小学校となる。
1892年(明治25年)
9月 - 長崎県第十一高等小学校が廃止される。
12月 - 「彼杵尋常高等小学校 音琴分校」に改称。
1897年(明治30年)7月 – 鉄道敷設のため、学校敷地のうち2坪を譲る。
1902年(明治35年)12月23日 - 現在の校地が寄贈される。
1903年(明治36年)10月 - 彼杵尋常高等小学校から分離し、「音琴尋常小学校」として独立。同月26日に新校舎で授業を開始。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
1913年(大正2年)4月 - 統合により「彼杵尋常高等小学校 音琴分教場」となる。
1923年(大正12年)7月 - 彼杵農業補習学校音琴分教場が併置される。
1925年(大正14年)3月22日 - 彼杵農業補習学校に商業科が加えられたため、「彼杵実業補習学校 音琴分教場」に改称。
1926年(大正15年)7月 - 実業補習学校が青年訓練所として認定される。
1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、実業補習学校分教場が「彼杵青年学校音琴分教場」に改称。
1940年(昭和15年)11月3日 - 彼杵村が町制施行により彼杵町となる。これに伴い彼杵町立の小学校となる。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「彼杵町国民学校 音琴分教場」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「彼杵町立彼杵小学校 音琴分校」となる。
1950年(昭和25年)
3月- 2教室が完成。
4月1日 - 彼杵小学校から独立し、「彼杵町立音琴小学校」として独立。
7月 - 本館・付属施設が完成。
11月5日 - 独立を記念して造林を行う。
1952年(昭和27年)1月 - 運動場を整備。
1958年(昭和33年)8月 - 渡り廊下を設置。
1959年(昭和34年)5月1日 - 彼杵町と千綿村が合併し東彼杵町が発足。これに伴い「東彼杵町立音琴小学校」(現校名)に改称。
1960年(昭和35年)
4月 - 児童数が最大の164名(6学級)を記録。
7月 - 校歌を制定。
1962年(昭和37年)5月 - 放送室が完成。運動場を拡張。
1965年(昭和40年)3月 - 校門を設置。
1966年(昭和41年)5月 - 簡易水道を導入。
1967年(昭和42年)3月 - 給食を開始。
1970年(昭和45年)6月 - 校旗を制定。
1974年(昭和49年)3月 - 屋内運動場(体育館)が完成。
1986年(昭和61年)3月 - 新校舎が完成。運動場を整備。
1990年(平成2年)7月 – プールが完成。
1992年(平成4年)3月 - 運動場を整備。
2016年(平成28年)3月31日 - 東彼杵町立彼杵小学校への統合に伴い、閉校。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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東彼杵町立音琴小学校がある
長崎県東彼杵町の地域事情