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2009年総島小と統合し馬瀬小へ
中切小学校は2009年に惜しまれつつ閉校いたしました。2009年総島小と統合し馬瀬小へ 下呂市馬瀬地区(旧・益田郡馬瀬村)北部の小学校であり、馬瀬中切、馬瀬堀之内、馬瀬数河、馬瀬黒石、馬瀬川上が校区であった。2017年、総島小学校と統合し、馬瀬小学校の新設により廃校。校舎は馬瀬小学校に転用されている。
沿革
1873年(明治6年) - 中切村に中切学校が開校。民家を仮校舎とする。
1875年(明治8年) -
下山村、西村、惣島村、井谷村、名丸村、堀之内村、中切村、数河村、黒石村、川上村が合併し馬瀬村となる。
貴船神社隣接地に新築移転。
1882年(明治15年) - 校舎を新築。
1883年(明治16年) - 黒石に黒石分教場を設置。
1884年 (明治17年) - 馬瀬村が上馬瀬村と下馬瀬村に分割される。中切学校は上馬瀬村の学校となる。
1886年(明治19年) - 中切簡易科小学校に改称する。
1888年(明治21年) - 中切尋常小学校に改称する。
1889年(明治22年)7月1日 - 上馬瀬村、下馬瀬村が合併し、馬瀬村が発足。
1898年(明治31年)
1月 - 黒石分教場を廃止。
4月 - 名丸尋常小学校を統合する。
1904年(明治37年)5月 - 未認可の分教場であった川上分教場が正式に認可される。
1905年(明治38年) - 名丸地区が総島尋常小学校校区に移る。
1911年(明治44年) - 校舎を増築。
1912年(大正元年) - 中切尋常高等小学校に改称する。
1925年(大正14年)10月 - 現在地に新築(木造2階建)、移転。
1941年(昭和16年)4月1日 - 中切国民学校に改称する。
1947年(昭和22年)4月1日 - 馬瀬村立中切小学校に改称する。中切中学校を併設する。
1961年(昭和36年)9月 - 1925年建築の校舎を解体。新校舎(木造)が完成。
1980年(昭和55年)3月 - 川上分校を廃止。
1983年(昭和58年)3月31日 - 総島中学校と中切中学校が統合され、馬瀬中学校が発足。併設が解消され中切小学校は単独校となる。
1992年(平成4年)3月 - 新校舎(木造2階建)、体育館が完成。旧・中切中学校校舎跡地を用い、校地を拡張。
2004年(平成16年)3月1日 - 下呂町、萩原町、小坂町、金山町、馬瀬村が合併し、下呂市が発足。同時に下呂市立中切小学校に改称する。
2009年 (平成21年)3月31日 - 統合により廃校。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
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下呂市立中切小学校がある
岐阜県下呂市の地域事情