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kawashimasyougakkou
各務原市川島地区唯一の小学校である。通学区域(自治会名による)は、小網第1、小網第2、小網第3、小網第4、小網第5、小網第6、小網第7、松倉町東1、松倉町東2、松倉町東3、松倉町東4、松倉町中1、松倉町中2、松倉町西1、松倉町西2、東雁場、西光坊、南雁場、山ノ瀬、三ツ矢、西雁場、松原県道、松原三ツ屋、松原三斗山、松原南屋敷、松原三軒屋、渡町東、渡町西、北山町、笠田町東、笠田町西、緑町第1、緑町第2、緑町第3、緑町第4であり、公立中学校の場合の進学先は各務原市立川島中学校である。1942年までの川島国民学校(旧・松倉尋常小学校)及び小網島簡易科小学校の跡は民有地、川島国民学校博文分教場(旧・博文尋常小学校)の跡は三ツ屋会公民館となっている。また、これらの旧学校(渡分校、笠田分校を含む)跡地には記念碑が設置されている。
沿革
川島小学校の遠景
江戸時代、各務原市川島地区の寺小屋は、安政2年(1855年)に笠田島村に開校されたのが最初である。その後、松倉村、河田島村、小網島村にも開校したが、1873年(明治6年)までに廃止された。
1873年(明治6年)
4月30日 - 羽栗郡小網島村、松倉村、河田島村(円城寺村枝村)、松原島村、笠田島村(以上後の川島村、現各務原市)、円城寺村(現笠松町の一部)の6ヶ村が共同で博文義校を創立。校舎は西養寺を仮校舎とする。
10月 - 羽栗郡松原島村字渡島、円城寺村字嘉左エ門島、笠田島村、小屋場島村が離脱し、小屋場島村に明善舎校が開校。小網島村が離脱し、小網島義校設置。円城寺村が独自に学校を設立し、博文義校から離脱。
1874年(明治7年)
5月 - 松倉村が離脱し、松倉義校設置。
7月 - 博文義校が松原島村字三ツ屋3に校舎を新築し、移転。
(時期不明)小網島義校が廃校。児童は敬恪義校への通学となる。
1877年(明治10年)4月 - 博文義校は川島学校と改称。
1883年(明治16年)7月 - 小網島村に小網島義校を再開。
1886年(明治19年)9月 - 川島学校は松原島尋常小学校、小網島義校は小網島簡易科小学校、松倉義校は松倉簡易科小学校に改称。
1887年(明治20年) - 松倉簡易科小学校は松倉尋常小学校に改称。
1889年(明治22年)7月 - 羽島郡小網島村、松倉村、河田島村、松原島村、笠田島村が合併し、川島村が発足。それぞれの学校は川島村立となる。
1893年(明治26年)5月 - 松原島尋常小学校が松原島と河田島の境界に校舎を新築し、移転。。
1894年(明治27年) - 松原島尋常小学校が博文尋常小学校と改称。松倉尋常小学校に補習学校を併設。
1897年(明治30年) - 小網島簡易科小学校が小網島尋常小学校に改称する。
1898年(明治31年)
5月 - 小網島尋常小学校と松倉尋常小学校が合併し、松倉尋常小学校となる。
8月 - 博文尋常小学校に補習学校を付設。
1901年(明治34年) - 松倉尋常小学校に高等科を設置。
1903年(明治36年) -
松倉尋常小学校に工業補習学校を付設。
博文尋常小学校に農業補習学校を付設。
1904年(明治37年) - 川島村の高等科の学校として、松倉に川島高等学校を新設。松倉尋常小学校の高等科廃止。川島高等学校の建物は松倉の民間の工場の建物を借りて使用。松倉尋常小学校と博文尋常小学校に分教場を設置していた。
1908年(明治41年)
4月 - 松倉尋常小学校の工業補習学校、博文尋常小学校の農業補習学校を廃止。
9月 - 川島高等学校、博文尋常小学校、松倉尋常小学校、笠田島尋常小学校、渡島尋常小学校が合併し、川島村立川島尋常高等小学校となる。本校は旧松倉尋常小学校におかれ、旧博文尋常小学校は博文分教場(松原島)に、旧渡島尋常小学校は渡島分教場に、旧笠田島尋常小学校は笠田島分教場になる。各分教場は尋常1~4年の児童が通学。笠田、渡、北山の5年は博文分教場に通学。
1941年(昭和16年)4月1日 - 川島国民学校と改称。
1942年(昭和17年)1月 - 羽島郡川島村大字河田島1041-1に統一校舎完成。博文分教場は統一校舎に近い為廃止。渡、北山の1・2年生は渡分教場、笠田の1~4年生は笠田分教場へ通学。
1947年(昭和22年)4月1日 - 川島村立川島小学校と改称。
1950年(昭和25年)4月 - 渡分校を廃止。
1956年(昭和31年)10月1日 - 町制施行により川島町立川島小学校と改称。
1962年(昭和37年)9月 - 笠田分校廃止。
1976年(昭和51年)3月 - 新校舎(第一期工事・普通教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
1977年(昭和52年)3月 - 校舎(第二期工事・普通教室・特別教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
1978年(昭和53年) -
校舎(第三期工事・特別教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
ビデオやコンピューター等、当時の最新の機器を導入し、ミニコンピュータを用いたCMIシステムの開発に着手する。この事が注目され、国内教育関係者の視察が増加(最盛期は2日に1回のペース)。全国的な研究会も行なわれ、国外からアメリカの教育視察団が訪問。
1979年(昭和54年)- シンガポール、マレーシア、バングラデシュ、イランなどのアジア諸国の共同教育視察団が訪問。
1985年(昭和60年) - パソコン93台を設置。CAIシステムを導入。
1988年(昭和63年)5月 - コンピューター利用に関するモデル校に指定される。以後、1992年まで毎年、研究発表会が開催される。
1986年(昭和61年)3月 - 体育館が完成。それまでは川島中学校の体育館を使用していた。
2004年(平成16年)11月 - 羽島郡川島町が各務原市に編入。伴って、各務原市立川島小学校と改称。
2019年(平成31年)4月 - 放課後児童クラブ(学童保育)の建物が完成。
2021年(令和3年)5月31日 - 5月28日から川島大橋が橋脚傾きにより通行止めとなったため、笠田地区の児童のために通学バスの運行を開始。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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各務原市立川島小学校がある
岐阜県各務原市の地域事情