所在地や連絡先、偏差値等詳しい最新情報を掲載。みなさまから提供いただいた情報も掲載いたします。
卒業年毎の専用ページです。卒業生同志の交流や、同窓会情報、卒業アルバム、クラス名簿など多数のコンテンツがあります。
同窓会の開催情報です。同窓会情報だけでなく、予定が無くてもやりたいという方でも同窓会ホームページを作成できます。
井上 和雄さん、宮澤 洋一さん、塚原 俊平さん、村上 誠一郎さん、藤巻 健史さん等 筑波大学附属小学校出身の芸能人やスポーツ選手といった有名人、著名人を紹介します。
筑波大学附属小学校の評価をいくつかのカテゴリにわけて評価をしています。また皆様からの評判も掲載します。
体育館の舞台裏、教室の落書き、理科室の匂いや実験器具等、学校の様々な場所での思い出を共有しましょう。
筑波大学附属小学校出身の卒業生が現在どこで活躍されているか、みなさんのご意見をもとに掲載しています。
在校当時の懐かしい写真や同窓会写真、今の学校の風景など無料で共有することが出来ます。
偏差値情報を掲載しております。 最新のデータはもちろん過去の偏差値情報も掲載しております。偏差値の推移もご覧いただけます。
学校関するみなさまの様々な意見を掲載しております。まだアンケートに参加いただいていない方は是非ご協力ください。
tsukubadaigakufuzokusyougakkou
1872年(明治5年)の学制発布を受けて、1873年(明治6年)1月15日、昌平坂学問所(江戸幕府直轄)跡に、東京師範学校の附属小学校として設立された。日本国の制度に基づく、官立私立で初の小学校である。日本の初等教育の教育拠点校、パイオニアであり、全国や海外から年1万人以上が訪れる。次世代を支える子供たちの育成を目指し、研究主題を設け、授業研究を伴いながら、理論と実践の研究を行っている。1990-1992「子供の感性が生きる授業」1993-1996「学ぶ価値を見出し追究する活動」1997-1999「自分づくりを支える教育課程」2000-2003「子どもの豊かさに培う共生・共創の学び」2004-2007「子ども力」を高める2008-2011「独創の教育」2012-2014「日本の初等教育 本当の問題点は何か」2015-2018「きめる」学び2019-「美意識」を育てる1学年128名の4クラス編成である。古くから教科担任制をとっており、各教科で教育研究が行われてきたことから、いわゆる「職員室」は存在せず、教科ごとの「○○科準備室」が独立して校内随所に散在する。担任持ち上がり制を採用しており、4人が担任団となり、子供達の成長・発達を長い目で見守る。一般の学校では学年・クラスを通常「○年○組」と称するが、当校では○部○年と称する。1年から6年までの部ごとに縦割りの活動が存在する。部ごとにカラーがあり、1部~4部はそれぞれ黄、緑、紫、赤となっている。運動帽やリュックサックの紐、縄跳び、バンダナなどの色は、部のカラーとなっている。昭和50年代までは6年間クラス替えが無かったが、それ以降、3年から4年に上がる時の1回のみクラス替えを行うようになり、現在に至る。また、クラス替え前後で同じ部になることはない。担任は担当クラスを持ち上がりになるため、クラス替え前後で担任も同じになることはない。体育館と土のグラウンドが広大な敷地内にそれぞれ2つずつある。毎朝登校すると、まず制服から体操着に着替え、授業前の「朝の活動」と呼ばれる時間にクラス単位でドッジボールや縄跳びをしたり、併設されている「占春園」(水戸徳川家2代徳川光圀の弟松平頼元が1659年にこの地に構えた屋敷の名残である日本庭園)を走ったりする。また、占春園は自然観察など理科教育の場としても利用される。入学に際して運動能力を見る2次検定試験があるため、運動神経が優れた児童が比較的多く、ハイレベルな体育の授業が行われている。校内では、教育発表会やテレビや新聞、出版の取材の時は制服で授業を受けるが、普段は登校後運動着に着替える。他校に比べ薄着で、真冬は長袖のセーターを着用してもよいが、大半は半袖短パン(女子はブルマー)で過ごす。筑波大学附属中学校へは、内部進学入試を経るが、実際は希望者は進学できる状況である。現在の募集人数は毎年128人(男64・女64)で、毎年の志願者数が募集人数の30倍程に上り、国内最多の志願者が集まる小学校である。このため入学試験では筆記・実技試験の前に、抽選器を用いた一次検定抽選が行われ、約4,500名の応募者のうち男女1,000名ずつ程度が2次検定試験を受けられる。筆記・実技試験の2次検定合格者男女各100名でさらに3次検定の第二次抽選を経て、最終的に男女各64名が最終検定合格者となる。通学範囲は東京都区部と西東京市、埼玉県和光市である。大部分は片道1時間かけて通学し、中には1時間半や2時間近くかけて通う児童もいる。登校時間が早いため、朝、家を出る時間がとても早く、中には6時前に出る児童もいる。
沿革
「東京高等師範学校#附属学校」も参照
1872年 - 神田昌平黌跡(現:湯島聖堂)に官立の師範学校を創設。
1873年 - 東京市神田区宮本町(現:千代田区外神田2丁目)にて、東京師範学校の附属練習小学校として設立。(本校の創立)
1874年 - 明治天皇の行幸を仰ぐ。
1885年 - 東京師範学校が東京女子師範学校(現:お茶の水女子大学)を合併。
1886年 - 師範学校令の施行により東京高等師範学校を高等師範学校に改称。同年、再び明治天皇の行幸を仰ぐ。
1888年 - 附属学校と改称。小学科の他に尋常中学科を設置。制帽および桐花の徽章を制定。
1890年 - 東京市神田区一ツ橋通町(現:千代田区一ツ橋2丁目)に移転。
1890年 - 高等師範学校から女子部(現:お茶の水女子大学)を分離。
1896年 - 尋常中学科を分離。小学科を附属小学校と改称。
1902年 - 東京高等師範学校附属小学校と改称。
1904年 - 1909年 東京市小石川区大塚窪町の現在地に移転。
1911年 - 明治天皇の名代として、東宮の行啓を仰ぐ。
1931年 - 昭和天皇の行幸を仰ぐ。
1936年 - 2月に新校舎(現:1号館)落成。
1941年 - 東京高等師範学校附属国民学校と改称。
1945年 - 3-10月に新潟県南魚沼郡中の島村に集団疎開。
1949年 - 東京教育大学附属小学校と改称。
1958年 - 山梨県北巨摩郡高根町(現:北杜市)清里に若桐寮開設。
1973年 - 創立100周年記念式典。卒業生末広恭雄、丹阿弥谷津子講演。100周年大運動会開催。
1978年 - 東京教育大学の閉学に伴い筑波大学附属小学校と改称する。
2003年 - 創立130周年記念式典。
2004年 - 国立大学法人筑波大学に移管。
2014年 - エストニア共和国トーマス・イルヴェス大統領から感謝状とモミの木が贈呈。wikipediaより
1: | 0 | |
2: | 0 | |
3: | 0 | |
4: | 0 | |
5: | 0 |
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。
皆さんが本サイトで思い出を語り合われたことのある先生方です。覚えている恩師の名前がいらっしゃいましたら、登録をお願いします。登録は各卒業生のページにある[名前をクリックいただくと感謝をやお礼の言葉を述べるページへ遷移します。(現在工事中)]
マスコットは本サイトの様々なコンテンツを利用することで成長していきます。
割れるまで何度もクリック!!
<姉妹サイト紹介>