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1882年(明治15年)開校。1991年(平成3年)9月の雲仙普賢岳の大規模火砕流により校舎を焼失し、仮設校舎を経て現校地への移転を余儀なくされた。2012年(平成24年)に創立130周年を迎えた。学校教育目標「心豊かにたくましく、耐えて励む児童の育成」校章「木」の文字を図案化したものを3つ組み合わせて、中央に「小」の文字を置いている。校歌1972年(昭和47年)に制定。本来の校歌に加えて、雲仙普賢岳の大規模火砕流で校舎が焼失した後に作られた第二校歌(タイトルは「生きていたんだね」)もある。これは旧校舎焼失と同時に焼けた校地のイチョウの木が翌年芽を出したことから作られた。校区南島原市深江地区の「大野台、下大野木場、中大野木場、上大野木場、新大野木場、大野木場団地、馬場団地」。中学校区は南島原市立深江中学校。
沿革
1882年(明治15年)3月 - 現在の深江町戊3243番地に、「公立中等深江小学校 渡瀬分校」として開校。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、深江小学校から分離し、「簡易渡瀬小学校」(修業年限3年)として独立。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、深江村立の小学校となる。
1892年(明治25年)9月 - 小学校令の改正により、「大野木場尋常小学校」(修業年限4年)に改称。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)
4月 - 尋常科6年を新設。
5月 - 校舎を増築。
1923年(大正12年)2月 - 運動場を拡張。
1931年(昭和6年)7月 - 運動場の北側に校舎を改築。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「深江村大野木場国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校の初等科が改組され、「深江村立大野木場小学校」となる。
1957年(昭和32年)5月 - 保健室が完成。
1962年(昭和37年)5月3日 - 深江町の発足により、「深江町立大野木場小学校」に改称。
1964年(昭和39年)7月 - プールが完成。
1968年(昭和43年)12月 - 昭和34年完成の校舎2教室を残して鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が完成。
1972年(昭和47年)- 校歌を制定。
1973年(昭和48年)- 給食センター方式による完全給食を開始。
1977年(昭和52年)- 体育館が完成。
1981年(昭和56年)- プールが完成。
1982年(昭和57年)- 創立100周年記念式典を挙行。
1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳の噴火活動が開始。
1991年(平成3年)
6月3日 - 雲仙普賢岳火砕流が発生。
8月 - 仮設校舎での授業を開始。
9月15日 - 雲仙普賢岳の大規模火砕流(18時54分発生)により校舎を焼失。以後この日を大野木場小学校メモリアルデーとする。
大規模火砕流の被害にあった旧校舎は、自然災害の惨状を伝える遺構として残されている(北緯32度44分44.4秒 東経130度20分26.8秒 / 北緯32.745667度 東経130.340778度 / 32.745667; 130.340778 (旧・深江町立大野木場小学校(現・噴火災害記念館)))。
焼失した大野木場小学校旧校舎
1992年(平成4年)- 深江町民グラウンドに仮設校舎が完成。
1995年(平成7年)4月 - 雲仙普賢岳の噴火活動が休止。
2000年(平成12年)2月22日 - 現在地に新校舎が完成。
2001年(平成13年)- 普賢岳噴火10年記念碑を建立。
2004年(平成16年)- かどわき歴史災害記念館が完成。
2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立大野木場小学校」(現校名)に改称。wikipediaより
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例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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南島原市立大野木場小学校がある
長崎県南島原市の地域事情