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1874年(明治7年)に開校した「芳州小学校」と「湊小学校」を前身とする。1882年(明治15年)に統合。現校名になったのは1947年(昭和22年)。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。校章中央に「三小」の文字(縦書き)を置いている。校歌1951年(昭和26年)9月に制定。作詞は島内八郎、作曲は伊藤英一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「島原第三」が登場する。校区住所表記で島原市の後に「新山一~四丁目、崩山町、坂上町、坂下町、八幡町、西八幡町、栄町、浦田一・二丁目、蛭子町一・二丁目、白土桃山一・二丁目、霊南一・二丁目、有馬船津町、津町、元船津町、湊新地町、広馬場町、中組町、白山町、湊町、緑町、下川尻町、南下川尻町、湖南町」が続く地区。中学校区は島原市立第二中学校。児童数推移
沿革
旧・芳州小学校
1874年(明治7年)
6月1日 - 蛭子(えびす)町に「三番小学蛭子町学校」が設置される。当時の児童数は男子が59名、女子が20名。
9月29日 - 林好太郎が所有地の船津蛭子町2170番地の43坪2合の土地を校地として寄付。
1875年(明治8年)10月 - 「芳州小学校」に改称。
旧・湊小学校
1874年(明治7年)10月15日 - 八幡神社に「四番小学湊学校」が創立。
1875年(明治8年)10月 -「松嶼小学校」に改称。
統合
1882年(明治15年)11月 - 上記2校が統合の上、「公立中等匯参小学校」となる。
1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、「尋常湊小学校」に改称。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、湊町立の小学校となる。
1893年(明治26年)3月 - 「湊尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変更となる)。
1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
1912年(明治45年)4月1日 - 高等科を併置の上、「島原湊尋常高等小学校」に改称。
1924年(大正13年)
4月1日 - 新・島原町の発足に伴い、「島原第三尋常高等小学校」に改称。島原町立の小学校となる。
1928年(昭和3年)4月 - 鉄筋コンクリート造の校舎を新築。
1940年(昭和15年)4月1日 - 島原市の発足により、島原市立の小学校となる。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「島原第三国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
島原第三国民学校の初等科が改組され、「島原市立第三小学校」(現校名)となる。
島原第三国民学校の高等科が改組され、新制中学校「島原市立第二中学校」が発足。校舎完成までの間、第三小学校に併設される。
1948年(昭和23年)10月 - 第二中学校の校舎が完成し移転。
1951年(昭和26年)9月 - 校歌を制定。
1968年(昭和43年)7月 - プールが完成。
1974年(昭和49年)- 創立100周年を迎える。
1976年(昭和51年)3月 - 体育館が完成。
1977年(昭和52年)- 全学年合同の同窓会が発足。
1978年(昭和53年)
4月 - 長崎県立島原養護学校が校舎完成までの間併設される。
7月 - 長崎県立島原養護学校の校舎が完成し併設を解消。
1980年(昭和55年)1月13日 - 二階建て木造校舎全焼。
1981年(昭和56年)1月 - 三階建て新校舎が完成。
1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火。
1991年(平成3年)6月3日 - 雲仙普賢岳で大火砕流が発生。
6月 - 噴火により体育館が緊急避難所。
島原市立第五小学校を受入れ、二部授業を実施。
8月 - 学級園の場所に第五小学校のプレハブ仮設校舎を建設。
第五小学校、本校の空教室にて授業。
1992年(平成4年)8月 - 第五小学校受入れ終了。
2002年(平成14年)4月 - 完全学校週5日制が開始。
2012年(平成24年)- 新校舎が完成。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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島原市立第三小学校がある
長崎県島原市の地域事情