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sonogisyougakkou
1873年(明治6年)創立。2013年(平成25年)に創立140周年を迎えた。校訓「強く 正しく 朗らかに」学校教育目標「夢に向かって自ら学び共に輝く彼杵っ子」校章桜の花弁の絵を背景にして、中央に校名の「彼杵」の文字(縦書き)を置いている。校歌作詞は不詳、作曲は山口修造による。歌詞は3番まであり、2番に校名の「そのぎ」が登場する。校区「長崎県東彼杵郡東彼杵町」の「小音琴郷、浦、大音琴郷、口木田郷、蔵本郷、金谷、本町、東町、橋ノ詰、赤木、上杉、下三根、山田、樋口、川内、飯盛、法音寺郷、菅無田郷、坂本郷、中尾郷、太ノ原、太ノ浦郷(一部)、遠目郷(一部)」。中学校区は東彼杵町立東彼杵中学校。
沿革
1873年(明治6年)6月12日 - 彼杵村蔵本の御茶屋跡(現・彼杵神社)に第五大学区長崎県管下第三中学区彼杵郡の小学校として「彼杵小学校」が設置される。
訓導(教諭)は佐藤俊八郎。
1874年(明治7年)- 隣の庄屋跡(現在地)に移転。
1877年(明治10年)- 大音琴郷浜田に音琴分校(ねごと)を設置。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡制の施行により、彼杵郡が東西に分割され、東彼杵郡に属することとなる。
1880年(明治13年)12月 - 「蔵本小学校」に改称。大楠小学校を統合し、大楠分校とする。
1881年(明治14年)5月 - 「公立中等彼杵小学校」に改称。
1886年(明治19年)
5月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常彼杵小学校」に改称。大楠分校が分離し「簡易大楠小学校」として独立。
9月 - 大村(現・大村市立大村小学校前)に「長崎県第十一高等小学校」が設置される。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、彼杵村立の小学校となる。
1892年(明治25年)
4月 - 「彼杵尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更となる)。
9月 - 長崎県第十一高等小学校が廃止される。
12月15日 - 高等科を併置の上、「彼杵尋常高等小学校」に改称。
1893年(明治26年)- 高等科の併置により児童数が増加したため、校舎を増築。
1896年(明治29年)4月 - 彼杵農業補習学校が併置される。
1900年(明治33年)5月31日 - 彼杵農業補習学校が廃止される。
1903年(明治36年)10月 - 音琴分校が分離し、「音琴尋常小学校」として独立。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
1910年(明治43年)4月2日 - 瓦葺平屋建ての6教室を増築。
1913年(大正2年)4月 - 大楠尋常小学校と音琴尋常小学校の2校を統合し、それぞれ大楠分教場(おおぐす)・音琴分教場(ねごと)とする。
1914年(大正3年)3月31日 - 彼杵農業補習学校が再設置される。
1925年(大正14年)3月22日 - 彼杵農業補習学校に商業科が加えられたため、「彼杵実業補習学校」に改称。
1926年(大正15年)7月 - 彼杵実業補習学校が青年訓練所として認定される。
1927年(昭和2年)5月27日 - 木造2階建ての校舎が完成。
1934年(昭和9年)12月20日 - 勧学顕彰碑が建立される。
1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、彼杵実業補習学校が「彼杵青年学校」に改称。
1940年(昭和15年)11月3日 - 彼杵村が町制施行により彼杵町となる。これに伴い彼杵町立の小学校となる。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「彼杵町国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
1944年(昭和19年)3月31日 - 併設の彼杵青年学校が「彼杵高等実業青年学校」として独立。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
彼杵国民学校の初等科が改組され、「彼杵町立彼杵小学校」となる(児童数1,024名)。分教場を分校に改称(大楠分校・音琴分校)。
彼杵国民学校の高等科と彼杵青年学校の普通科が改組され、新制中学校「彼杵町立彼杵中学校」が発足。小学校に併設される。
1949年(昭和24年)4月1日 - 大楠分校が独立し、「彼杵町立大楠小学校」として独立。
1950年(昭和25年)4月1日 - 音琴分校が独立し、「彼杵町立音琴小学校」として独立。
1955年(昭和30年)2月 - 育友会により、彼杵町川内郷長葉山674番地に学校林を植林。
1959年(昭和34年)5月1日 - 彼杵町と千綿村が合併し、東彼杵町が発足。これに伴い「東彼杵町立彼杵小学校」(現校名)に改称。
1963年(昭和38年)4月22日 - 給食を開始。
1968年(昭和43年)2月 - 鉄筋コンクリート造2階(一部3階)建て校舎(8教室)、木造平屋建1棟などが完成。
1973年(昭和48年)- 創立100周年記念式典を挙行。
1984年(昭和59年)
2月 - 鉄筋コンクリート造3階立ての新校舎と体育館が完成。
3月 - 運動場が完成。
8月 - 東校舎を改修。
1999年(平成11年)3月 - 校旗を新調。
2002年(平成14年)1月 - 学校評議員制度を導入。
2005年(平成17年)3月 - プールが完成。
2009年(平成21年)9月 - 校舎の耐震化工事を完了。
2010年(平成22年)
4月1日 - 午前中5時間制を導入。
6月 - 校庭の全面芝生化を実施。
2016年(平成28年)4月1日 - 東彼杵町立大楠小学校と東彼杵町立音琴小学校の2校を統合。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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東彼杵町立彼杵小学校がある
長崎県東彼杵町の地域事情