例)子供心に安易な気持ちでいじめをしてしまいました。今では本当に後悔していますAさんごめんなさい。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白謝罪: | 私、とても滑舌が、悪く嫌われていたので クラスにも馴染めず、学年行事は欠席してました。今更ながら、卒業アルバムを開くと何1つ思い出が無い自分を悲しく思い、後悔しています。 行事に参加しないでクラスのみんなに迷惑掛けて 御免なさい。すみませんでした。 |
謝罪: | 33年程前の話ですが、今でも心の中にあります。 |
謝罪: | ある部活を途中で辞めたものです。A.Mさんに変なLINEを送ってしまったことを超超超後悔しています。本当は他の部員からいじめられていたことを相談したかったからです。死ねを連呼したのはA.Mさんに対してではなくハヤシさんやタツノさんに対してです。こんなにA.Mさんに対して嫌な思いをさせてしまい申し訳ないと超超超超反省しています。もしA.Mさんが許してくれるならまたいつか会いたいです。もう顔も見たくないならそれでも構いません。話したいと思うなら。成人式で見つけたら話しかけてください。本当に変なことしてドン引きさせてしまい申し訳ないと反省しています |
謝罪: | 2016~2018 all,Cクラスだった 、ブラジルとフィリピンのハーフのNMGさん傷つけてしまってごめんなさい。入学当初、初めて自分から声をかけてできた友達でとても嬉しかったことを覚えています。初めて名前で呼び捨てしてくれた時はすごく嬉しかった。時間が経つにつれて、次第に、あなたを傷つけてしまっていたこと、本当にごめんなさい。昔から友達との距離感が掴めなく、これくらい友達だから理解してくれる、許してくれると安易な気持ちでした。その後、話し合う時間を取ろうとしても避けられてしまったのはとても悲しかったです。人付き合いが苦手な私があとからわかったことですが…。私は自閉症でした。人との付き合いが難しく、人の気持ちを考えられない、などといったことがありました。気になりましたら検索してみてください。今は、自分の障がいも受け止め生活しています。あの時は本当に傷つけてしまってごめんなさい。もし、いつか会えたなら、また笑って話がしたいです。一緒に沢山遊びました。お泊まりもしました。優しかったあなただからこそ、私から離れていったのだと思います。もし、これを見たのならまた、いつか会いたいです。貴重な2年間をありがとう。体に気をつけて、ご飯もしっかり食べてください。どうか元気で。 |
謝罪: | 子供を作ってしまい2学期の途中で退学した田中さん、父親として責任をもって一緒に辞めた井上くん、父親は実は僕です。ごめんなさい |
謝罪: | 幼稚園の頃、年下の子をいじめてしまいました。私もいじめられていたので誰かをいじめる事によって優位に立ち、鬱憤を晴らしたかったのです。本当に幼稚でした。申し訳ありませんでした |
謝罪: | 瀬尾先生のお陰で初めて90点台取れた良い |
謝罪: | 前川先生、お手数かけてばっかで、すんませんした。 |
謝罪: | 鼻〇先生、昼休みにスマホ使ってごめんな反省してるわたぶん |
謝罪: | 見下してて心の中で笑っててゴメン |
文化祭: | 田中義剛 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
伝説: | 一年の二学期開始時に転校したが、いきなり夏休み中に在校生が自殺をし、教師からの訓示が学校に絶望しても命は大切にしろと、当たり前の話が聞いていて恐怖だったが、それなりの学校でしんどかった。 |
下駄箱: | 丹尾真斗という架空の生徒が出るといううわさがありました。 |
恋: | 2年の先輩にラブレター出したら、昼休みに呼び出されてフラレた。 3年の先輩と付き合いしたけど、ケンカ別れした。 |
卒業式: | 会うは別れの始め。校長先生のお言葉だったかな? |
告白: | 男勝りの坂本祐子さん、好きでした❗ |
プール: | プールに入った記憶がないのだが… |
音楽室: | 音楽室はなかったけど? |
教室: | 1階に3年間いて落ち葉は落ちるしカメムシ臭いし秋には幼虫がいてスリッパで潰すし散々な目にあったな笑笑 |