例)学校の記録的事件 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白記録: | 獅子が森が好き |
記録: | ある人が暴れて学校の器具、ガラスを破壊していました。。 |
記録: | 学校の記録ではないけど、3年間皆勤賞だった私~無遅刻無欠席、学校が楽しかったからこそ通学できた~いい友達といい先生に恵まれて~卒業式の前日に何人かの皆勤賞の人が表彰してもらい記念のアルバムをもらったな~いい思い出になりました |
記録: | 覚えてますか? |
記録: | ブルマ |
記録: | 森田健作さんの映画の撮影に校舎が使われた |
記録: | 暴力を奮って暴れているとかでもなく、無抵抗な娘はいきなり暴力を貰いました。何か悪さしたわけでもなく不正入試をしたでもなく。ただその中部高校obは社会的地位の高い仕事についていると言う理由。その暴力を奮った中部高校のobの子どもも中部高校。でていってくれ。 |
記録: | 開校当初、男子夏服は白カッターシャツにアイボリーズボン。私服と見分けが難しく下校途中に千里中央に寄っても「一旦帰宅しました」と生活指導の先生を言い包める輩も。逆に冬服は当時珍しい紺ブレザーにグレーズボンですぐ東豊中高校の生徒とバレた。 |
記録: | 東大出たものだけで親睦会をしたいね。 |
記録: | 伊勢神宮の修学旅行 |
入学式: | 1期生です。入学式の日にもまだ工事が終わってない建物が有りました。 |
プール: | 森先生 私の時(1989年卒業)にも居てはりました。長いこと居てはったんですね。私らの頃はシンクロの小谷実可子さんと一緒にやっていた?指導していた?とにかく知り合いと話しておられました。 |
運動会: | ワンズ体操 |
怪談: | セミナーハウスにはいる |
音楽室: | 音楽の先生が校内で一番美しい方でした。もう10年も前の話です。記憶も褪せてしまいましたが良い思い出です。有難うございました。 |
伝説: | 体育教師のうつみ(ハゲ)がうざかった |
音楽室: | ト音記号とヘ音記号の五線譜があって、その下にイケない記号を書いて、若い女先生に怒られたっけな… |
感謝: | 高校野球から変な校歌を検索して見つけました。2年の時にH君に助けられた。彼がいなかったら人生変わっていたかも……今でも思い出します。目立たない存在でしたが、一部で隠れ人気でした。クラスで2人くらい好きだった女子を知ってます。SさんとTさんかな笑。水泳大会であの人は水泳部じゃないのに部の人を抜く謎って言われてました。体育祭では大人しそうなめがねっ子が全力応援しててキャーって引いたから一個下の学年に彼女がいたのかも。英語が得意な人で都内でも上位だったと思います。あまり気にしないで隠してましたね。でもB類ってクラスの理系行ったんだよね、先生がちょっと残念がってた。ストーカーしてないけど(*´艸`*)生徒会みたいな時に壇の上にいました。もうわかりますよね。ありがとう、74〜75生の私です。幸せであって欲しい人です。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
教室: | プレハブの2階にあった自販機のミルクールという飲み物が美味しかった。 |