例)常にコーヒーの匂いが漂っている。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白職員室: | 私は、同級生の人たちから、いじめに、あい、ネガティブ思考に、なりました事が、多かったので、私を、前向きに、させてくれました先生方、有難うございました。 |
職員室: | 卒業後にクラブに寄るついでに担任に会いに行ったら「何しに来てん」(泣 |
職員室: | 昭和53年入学 |
職員室: | しょっちゅう呼び出された。 |
職員室: | 担任の先生わ大木先生でした |
職員室: | 全学年共通の職員室で、席がぎゅうぎゅう詰めだった記憶がある。生徒は先生の許可が下りない限り入室禁止だったため、出入口付近でやり取りを済ませることが多い。 |
職員室: | 私の父(平成29年に96才で死亡)が1945年12月~1948年3月まで 英語教師として赴任、と同時に久慈高女でも 教えていたのが25才~28才の 時でした。当時は 住居は 当直室だったようで そこで生まれたのが 私(現在72才)でした。父は 当時 大学卒業と同時の 最初の教師時代で かなり 思い出深い 経験だったと いう話を 聞きました。 |
職員室: | 私の父(平成29年に96才死亡 |
職員室: | 吉野という体育の教師が毎朝校門にいたね。砧線に乗らず毎朝歩いていた。 |
職員室: | 1年生の時、初めての中間試験が行われる時、何をどう勉強すれば良いのか分らず、近所の先輩に聞きに行ったことがあります。必死でした。結果を聞きたいでしょう??試験後。担任の「五味先生」全員の前で成績を知りたい奴は、職員室に来い。と言われたので放課後恐る恐る聞きに行った所、一言「お前53ばんめだな」怖い顔をしてギロリと見られガックンしょんぼり・・・・ところが翌日職員室に呼ばれ「ゴメンゴメン」「お前の成績はクラスで1番だ!」「生徒名簿が渡部の{わ}だから53人目の生徒番号を間違って言ってしまった。」・・・・笑い。そこから3年間1番か2番盲腸で入院して3番目に成績だ落ちたり。本当に楽しい学生生活でした。もう一度あの頃に戻れるなら戻りたい。そのときは見えなかった今を学習しなおしをしたい。もうすぐ70歳。お世話になった「五味先生、木村先生」ありがとうございました。 |
恋: | 彼女と一緒に帰るのが照れくさくてでも本当は嬉しくて今でも彼女との思い出は忘れないよ。 |
教室: | 生物室にも顕微鏡が人数分あり、両目で覗きながら観察した細胞の絵を描く、黒板にフリーハンドで正円を描く、とにかく有機化学は実験主体、無機化学は自分は天才か、と思うくらい亀の図書けるようになり、計算も出来ました。ひとえに吉田先生のおかげでした。 |
文化祭: | 最初のエレキバンド |
下駄箱: | 今はもう違うものになっているけど 30代以上の人の上履きのスリッパ あのモーレツなニオイ覚えてますか?子どもが入学した時 まだこのスリッパなんか!と驚いて ニオイをかいで くっさ!と一気に学生時代にタイムスリップしました。妹にも『まだ同じスリッパやで!』というと『ニオイ思い出したわ〜』と言われた一品。 |
運動会: | フォークダンス出れなかった |
告白: | 色白小柄で可愛い |
プール: | 昔(女子高)のころは屋上にプールがあった。現在は老朽化のため使用禁止で使えなくなっている。2年生のころの教室の横に階段があり、鎖が警察の立入禁止のロープのように張ってあり、真ん中に重たい石の標識のようなものが置いてあった。 |
図書室: | 一年生から三年生までよく本(主に小説系)を読んでました。(まさか卒業前に多読賞をとるとは思わなかったけど。(苦笑)) |
教室: | 入学した頃、周りは畑が多くて 肥料を撒いていた臭いが教室まで入ってきて、その臭いにびっくり |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |