小諸市立千曲小学校の理科室

懐かしい小諸市立千曲小学校の記憶を共有するページです。

小諸市立千曲小学校の理科室

小諸市立千曲小学校の理科室での色褪せない記憶をつづってください懐かしい思い出を是非皆さんと共有してください。例えば理科室にあった不思議なものや雰囲気や匂い怪談話や伝説など教えてください。

小諸市立千曲小学校
理科室の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の理科室での記憶

理科室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 理科室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
理科室手で仰いで匂いを嗅ぐということを習う前にK.Nさんと理科室でそこに置いてあったアンモニアを直に鼻で嗅いでしまって悶絶した思い出があります。今でも忘れられないですね。
理科室亀が2匹いました。大きいです。
理科室理科の岡野稔先生はサッカーが得意でした!
理科室水上置換法
理科室服あり
理科室理科室の骸骨、動いているのを見たことがあります。ほんとに。40年くらい前になってしまいますが、給食後の掃除の時間だったと思います。扉は閉まってて、のぞき窓から動いているのを確認。手を上下に動かしながらスーッと移動しまくってました。そのころまだ身長が小さかったので、のぞき窓の下方がどうなっていたか確認できませんでした。こわかったし。もう一人の友人といっしょにみたので、確信があります。
理科室あ、そういえば人体模型の右足取れてるのもあったなー笑笑
理科室筋肉と骨が半分になってる人体模型が怖かった
理科室古い校舎で、確か五年生時に創立100年記念誌を配布されました。担任は瀬山先生。
理科室福山先生のつまみ出すぞーあれはわろた

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
すっげー好きな女の子がクラスにいました^_^良い思い出‼️
怪談トイレの花子さんのことを思い出して三番目のトイレを掃除するのが怖くなった(三階にいます)
運動会運動会は毎年5月下旬から6月上旬。初夏(より前)に行う。
告白あの、電話ください。会わないで帰ってきたから!心配になりました。
教室3年生くらいまで達磨ストーブでした。ストーブ当番は日直の仕事だったかな。離れの石炭小屋に一輪車で石炭を取りに行った記憶があります。昭和45年頃です。
校庭栗駒南小学校の校庭は他の小学校より広く、低学年から高学年まで幅広い学年が放課後など外で遊ぶ光景が見られました。運動会や持久走大会などは年間行事の中で特に盛り上がり、最高の思い出が作れると思います。
音楽室うしろの鏡が良かった。
図工室図工室の黒板の裏に,文字が書かれていて同級生の名前と知らない名前でした。同級生に黒板の裏に書いたか聞いても『自分じゃない』と言いました。他の同級生に聞いても,他の人も,同じ答えでした。一体誰が書いたのでしょうか?
校庭校庭に小鳥ヶ丘という場所があって、四年生の時、そこで秘密基地のような物を授業で作りました。担任の先生が道具をいろいろ持って来てくれて、ブランコまで作った。あれはなんの授業だったのだろう。とても楽しい思い出として30年程経った今でもいい思い出として覚えています。
体育館体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。


ページの先頭へ