曽於市立末吉小学校の校庭

懐かしい曽於市立末吉小学校の記憶を共有するページです。

曽於市立末吉小学校の校庭

曽於市立末吉小学校の校庭での様々な思い出を書き込んでください。あの頃の懐かしい想い出をぜびみなさんと共有してください。
例)休み時間やお昼休み校庭でやった「どろけい」やかくれんぼ等の遊びを教えてください?
  今ではなんで?と思う朝礼ではやってたことや楽しかったことはありますか?
  運動会や体育の時間でやった競技を教えてください?
  

曽於市立末吉小学校
校庭の思い出

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例)運動会ではこの学校恒例の阿波踊りをやっていました。今でもあるのかな?










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の校庭での記憶

校庭での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 校庭での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
校庭校庭は高い方と低い方2段になってました。高い方から低い方にグライダー飛ばしてました。
校庭毎日毎日、縄跳びをした事を思い出します。鈴木縄跳びチャンピオンが5重跳びを見て感動でした。今53歳になりましたが2重跳びは300回はいまだに飛んでます。感謝。
校庭のびゆく子の像。野比のび太の親戚だと思ってた。
校庭校庭の西側にバスケットコートがあり、そこでバスケに興じていた時、先生に呼ばれ「おばあちゃんが亡くなったそうだから家に帰るように」と告げられ、すぐ家に帰りました。帰宅後すぐに電車を乗り継ぎ東京駅まで行き、新幹線で母の実家へ行ったのを今でも覚えいます。
校庭当然誰も俺の感情には気づきやしない。
校庭大階段っていったかな?、体育のあと上がるのがしんどかった。 アスレチック懐かしい。
校庭まむし山に住むメロンばあさんが居るという噂がありました。
校庭何年生の時かは覚えていないのですが、友達とブランコでよく遊んでいました!6年生の頃にドッヂボールや、鬼ごっこもしていました。 刀川小最後の卒業生で良かった、って思います❗
校庭冬になると低学年はグランドでスキーを履いて歩く練習をしました
校庭1997年卒業の浦小目の前の社宅に住んでいた者です。亀の子滑り台の思い出が一杯です。 亀の子鬼とかですよね。 こんな場所であれですが、結婚して今は鴨居の神奈川区民です。 中区民から戻りました。 でも、覚えてる人いませんよね。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
私はF.Kという人と両思いです
体育館亀介は話にはいれないのにはいってくる。あと本人がこれに「自分の名前を出して」といったので言う。福岡駿介YouTubeには駿介福岡で検索すればでてくるそうです。登録お願いだそうです。
下駄箱一年生の頃犬が大嫌いで帰り道で遭遇するて怖いので姉を待っていましたが、3つ上の姉が出てくるのはかなり先でした。 先生が来ると下駄箱の陰に隠れるのですが…何故か見つかってしまい「早く帰りなさい!」と怒られました… 今となっては笑える思い出です。
屋上卒業の時行ったことあります
教室黒板に向かうと、正面上に筆書きの標語のような書がありました。 確か、一年生は「頑張る子」、二年生は「やり抜く子」というような内容だったかと。 窓側に先生の机があり、その後ろにテレビ。 時間によって、授業の一環としてNHK教育番組を見ました。 『さわやか3組』など、懐かしいです。
給食かぼちゃプリンは最悪でした
卒業式卒業の年に皆んなで作った トーテンポールはどうなったんでしょうか。
感謝樋山先生3年間言葉の教室で言葉を教えてくれてありがとうございました。
卒業式修学旅行とか遠足のてーまが有れば良いけど無いのでここに修学旅行の時の話を。クラスにT君という知的障がいの子がいて、あまり会話は出来なかったけれど、それなりにクラスになじんでいた。特に音楽に乗りやすく、指揮者のようにタクトを振るしぐさをよくしていた。修学旅行の時は母親なのか、もしかして祖母なのかしれないけどおばさんが付き添いで同行していた。旅館で余興タイムになり何人かが出し物をし、間が開いたころ、誰かが次はAちゃん(T君の名前で、通常みんなからそう呼ばれていた)の番や、という声がかかった。するとみんながそれに同調し、担任の先生も同じことを言いだした。するといきなりおばさんが出てきて代わりにマジックをしますといい、箸袋の両端を先生と生徒に持たせ、それを箸で切ると言い何度か切る真似をしたのち、「これは切れません。切っても切れない師弟の間柄」という説明をしました。小学生とはいえ高学年だから当然意味は分かるけど、それほど面白い話でもない。また誰かが、今度はAちゃんと言うと、担任はたまらずもういいからと止め、おばさんにお詫びを言っていました。クラスではよくある光景だったけど保護者から見れば居たたまれないことだったんですね。何十年か経ってT君の家だった小学校すぐ近くのお店はなくなり、当時でも珍しかった畑も消えていました。
kさんが六年間好きでした


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