例)暖房器具がなくて石油ストーブでした。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白教室: | テスト |
教室: | だるまストーブの上でお弁当を暖めていました。 |
教室: | 楽しい |
教室: | 2時間目が終わった辺りから、明らかに弁当か調理パンを食べただろうの臭いが、各教室に充満していた。先生も分かっていたのに、何も言わず見逃してくれていたが、実際食べ食べている所みつ |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |
教室: | 線路に面した箇所があり、金網を乗り越えてた生徒が居た気がします。 |
教室: | ある時、ギャーギャーと断末魔?悲痛な泣き声が教室まで響きわたり授業が中断、原因は農業科の生徒による、子豚君の去勢手術と判明した。農業科の生徒の残酷な行為の割に、子豚君は、チンチンだけに赤チンを塗布して貰ったそうです。 |
教室: | 海が見える教室で授業を受けていると、なんだか全てがちっぽけに思えてきて、やる気が削がれた思い出。 |
教室: | 寒い時期には石炭ストーブがあったよ |
教室: | 当時の特進科の教室は、新校舎内の冷暖房完備という恵まれた環境とは程遠く、教卓の横の1つの丸型石油ストーブしかなかった。その教室での3年間も、授業中に遊んでいるか・仲間と雑談に興じているか・模擬試験を受けているかの3つぐらいしかした記憶がない。しかし今にして思えば厳冬の中にあって、休み時間には暖を取るべく集まり昼近くになると周りに全員の弁当が並んでいた“1つの石油ストーブ”の存在を通して、まだまだヤンチャだった頃にしていたことの数々を時おり慈しむ様に思い出す。 |
屋上: | 僕らの時は『屋上で騒がない様に』と、中休みに外出いない様にでした、笑。でも、些か応援団の残り香は有りましたけど、時代です。弱かったです。 |
告白: | 定時の女の子が大好きだった |
恋: | 足立麻実の事が忘れらません。年数が経つても彼女の事が心の中にあります。神様、彼女と一緒にさせてください。 |
プール: | プールってあったっけ? |
謝罪: | 瀬尾先生のお陰で初めて90点台取れた良い |
文化祭: | 城南祭では、なぜか大学の寮歌を覚えて歌わされるという不思議な儀式がありました。 |
プール: | プールはなかった。 夏は学校前の鴨川で泳ぎたいなんて冗談言ってたw |
トイレ: | まだ「かめ」使っているのかな? |
記録: | 休みすぎて単位落としたのか?赤点取りすぎてたのか知らんけど進級出来ないのが数人いてダブってて歳違うのに同級生になってるのが数人いた |
入学式: | 入学式の直後だったか、その1日ぐらい後だったか、校歌を教える先生がいた。その先生が私の歌った後について歌ってくださいと言ったら、ある学生が、あれでもわたしやうまいつもりだよ、なんてかなり大きい声で言ったらそれが先生に聞こえ、すごい顔でにらまれていた事思い出す。この学生とてもひょうきんな人で、当時通学は電気機関車で引っ張る電車だったが、手動のブレーキを操作し、その車両の近くで大きな音響を発生させ、慌てて元に戻してその周りの学生たち皆で大笑いしたこともある。この人今も周りの人を笑わせ楽しませているのであろうか。 |