例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | 準特にいた、近藤さん元気 |
感謝: | 2年や3年の時に落ち込んでいる時に別々のクラスだったにも関わらず、わざわざ声をかけてくれていつもそばに寄り添ってくれておかげで元気が出ました。体調が良くない時も励ましの言葉をくれて乗り切ることが出来ました。私の親友のような存在でそんな人に出会えて良かったです。 |
感謝: | 2020東京オリンピック控え、晴海近辺も近代化?悲しい思いも?まぁ~未来は、明るいかな! |
感謝: | 1年の終わりに転校しました 謝るチャンスくれる偶然を待ちます |
感謝: | 中川留美子先生、いつも私たちの見方でいてくれてありがとうございました。いいおもいでになりました。 |
感謝: | 古川せい子さんと出会えて楽しい高校生活が送れました |
感謝: | 想い出ありがとう |
感謝: | 高校生活楽しかったo(⁎˃ᴗ˂⁎)o⁺みんな ありがとう |
感謝: | 懐かしいです。僕が2年生の秋頃、まだ土曜日が半日学校が当たり前の時代。秋晴れの静かな土曜日の午後、部活で帰る生徒達がチラチラと。大好きなとき。僕の大好きな記憶。そしていやがらず、何気に僕の方からも求めていた・・・校長先生との接吻と手で出されてそのまま眠りについた、中庭校庭の芝生。校長先生はいいました、男同士でも結婚出来る未来がやってくるよと。あれからもう僕も立派な中年。もう時効ではないでしょうか、ねぇ工藤先生。 |
感謝: | いなかもんでさ、大半の女子には嫌われてたんだけど、一部男子には大変仲良くしてくれてたのは、うれしかった。ありがとさん。 |
恋: | 今でも好き |
告白: | 還暦を過ぎて昔の事を思い出します。必ずあなたがいました。平成5年の名簿でお名前が変わったことをしりましたが、もうお亡くなりになったと言う事実を知りました。卒業してから告白して、ドンクサイ私としばらくお付き合いして頂きありがとうございます。結末をつけることもできず離れてしまいましたけど、けして消える事無く今も胸に焼き付いていて思い出すと胸がキュンとします。お互い初めての恋愛でしたネ。なのに・・・どうか安らかに・・・そしてドンクサイ私でごめんなさい。 |
卒業式: | 私は、同級生のほとんどの人から、いじめに、あいましたので、かおり友の会の昭和62年度の卒業生のほとんどの人が、嫌いです。かおり友の会の会員に、なっています事で、生理的に、ストレスと、なり、ノイローゼに、なる事が、あります。ほとんどの同級生の人たちは、私と、違って、母親に、怒られなく、立派に、なってるでしょうね。かおり友の会の同窓会の通知の件ですが、私は、かおり友の会を、やめたいので、私の方へは、発送しないよう、宜しくお願い致します。 |
屋上: | 無論弱小って『自分害ったら』誰も救えない、やるだけやるさ。 |
教室: | 生物室にも顕微鏡が人数分あり、両目で覗きながら観察した細胞の絵を描く、黒板にフリーハンドで正円を描く、とにかく有機化学は実験主体、無機化学は自分は天才か、と思うくらい亀の図書けるようになり、計算も出来ました。ひとえに吉田先生のおかげでした。 |
恋: | 上尾の中学出身の女子に会いたい |
屋上: | 屋上の緑化を行っていた理科部という事もあり、普段は入れない屋上にはちょくちょく上がっていた 自分の在学中に何もなかった屋上にビオトープが出来上がるなんて想像もしていなかった |
体育館: | 1970年代の体育館の場所は正門の突き当たりにあった。右手にはグラウンドがあった。入学式・卒業式等の主要な行事はここでおこなわれた。1階の一室に体育関係の先生の部屋があった。当時はピアノがあったのか記憶にない。私的にここですごした思い出はない。 |
トイレ: | うんちいっぱいした!? |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |