青森県立青森中央高等学校の感謝

懐かしい青森県立青森中央高等学校の記憶を共有するページです。

青森県立青森中央高等学校の感謝

青森県立青森中央高等学校学校時代にお世話になった先生や先輩、同級生などいますよね。その時に言えなかった感謝の気持ち、またその時は素直になれずに言えなかった気持ち、はたまたあの頃にはありがたみが分からなかったけど大人になった今振り返ってみると有難かったと感じる事など。伝わるかわかりませんが、そうした感謝の気持ちを今ここで伝えてみませんか。

青森県立青森中央高等学校
感謝の思い出

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例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます!










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の感謝での記憶

感謝での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 感謝での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
感謝大塚先輩は、今でもトラックのうんてんしゅですか
感謝2000年3月に卒業した篠原千明さんへお元気ですか?携帯番号090-6880-9222
感謝昭和42年卒業生です。現在70歳です。バレーボール創立者1人です。三年生の時は体育祭委員長をつとめました。3年間青春でした。今も高校時代二人付き合いがあります。祖父江高校感謝です。
感謝t.hさん。むかしは、ダイエ~の100円で食事ができるところに行ってくれて有りがとう
感謝学校がないのは寂しい
感謝もう一度会いたいな
感謝先生方、大変お世話になりました。特に、庸先生にはお世話になりました。
感謝椎葉先輩、お世話になりました
感謝2020東京オリンピック控え、晴海近辺も近代化?悲しい思いも?まぁ~未来は、明るいかな!
感謝当時の彼女のお母さんの一言のアドバイスで、今の仕事をしています。亡くなられたと伺いました。いつかは墓前に感謝の気持ちを伝えたい。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
感謝どうもありがとう!素敵やん
屋上屋上で何かができるっていう漫画みたいな夢なんてちっともありません。 屋上なんて一切行けません。
校庭サッカー部と野球部が同時に練習してた。野球の打球がサッカー部員直撃したこともある
朝毎日間々田駅のセブン(コンビニ)で見かけたHIDEKIさんが大好きだった。今何してるのかな
告白あの頃1日だけ、デートしましたが、本当は好きでした!
校庭巨人の小沼くんの同級生です。彼は旭市の誇りです。高校時代あんまり話したことなかったんですけどねw。
トイレパパになったお。
比嘉千里さん好きでした。
感謝堀内貴子さんへ、一年生の時に同じクラスだったよね。僕が学校を休みがちになった時に自宅に電話をしてくれた事があったね。あの時、最初はびっくりしたけど、僕の事を心配してくれて本当にありがとう。つい長電話をしていた事は今でも覚えているよ。高校を卒業してから久しく会っていないけど、またいつかどこかであなたと会えるといいなあと思っています。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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