例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 学校そのものにお化けが出るというのは聞いた事は無いんだけど、やっぱり骨格標本(人体模型)が置いている理科室には何か出るんじゃないか?と友達との間では話していて恐かった。特に放課後、夕方の理科室…。 |
怪談: | 音楽室で、赤いコートの人がいるそうでした。 |
怪談: | 昭和25-6年ごろの在学生でしたが、先生から怪談を聞かされて自宅で夜寝ている時に恐くなって急に起きたのを思い出します。 |
怪談: | トイレの奥から3番目に花子さんがいる…そして名前に「花」がつく人には特に見えやすいとかなんとか |
怪談: | 1年の時すぐ横のトイレで大騒ぎしてた赤い手。あれはマジで怖かった。 |
怪談: | 校舎に向かって東側の階段の踊り場で子供を抱いた女の人の霊を当時のクラスほぼ全員が見たと言う記憶があります |
怪談: | 宿泊学習だったかな、イベントの一つとして夜はマイムマイムを皆んなが踊ろうという話になっていた。私も大好きで皆んな元気よくとても盛り上がって、その時に先生方が思い出として皆んなの写真を撮っていた。楽しい無事宿泊学習は終わった。後日、先生が撮った写真を写真屋さんに注文するから各自欲しい写真がある人はお金を封筒の中に入れて出してね。そう言われた。廊下には撮った写真が大きな紙に全て印刷されており、私も他の子も欲しい写真を見つけるために見ていた。その時、私は見てしまった。あの夜皆んなで楽しく踊り写真に笑顔でこちらに顔を向けていたのに、丁度踊っていた2人の間の真後ろに写り込むかのように青白い手がピースを作っていた。他の皆んなは健康な小麦色の肌をしているのはに確実に1人だけ肌の色が違う。しかも手首から下はなく、その手だけがただぼうっと浮いていた。見た瞬間に怖くなり、友達もお化けだと騒いでいる。もちろん、私はお化けが苦手なのでその写真は注文しなかった。今日高校の友達とそういう話になったので記念に投下。あの時、写真を注文していればもうちょっとネタに出来たかなと思う笑他にも1年生の教室の廊下の天井に数歩続いた足跡があったりと中々癖が強い学校だが、そんな記憶も今では懐かしい。 |
怪談: | 噂 |
怪談: | 二年生の時トイレから平安時代くらいのお姫様の苦しそうな声が聞こえた。 |
怪談: | 4月7日の放課後の階段は1輪の花が置いている。 |
教室: | 今は小学五年なので数年前なのですが一年生のころはエアコンがついていなくて扇風機でした。 |
職員室: | 廊下を通るときのコーヒーの匂いが… |
保健室: | 保健室のへやが忘れられない。理由学校来ても体調崩し高熱出してほとんど保健室に行ってたからです。ベッドで寝てたが、起きあがるのが辛くて養護教諭の先生が大丈夫?って心配してた。早退・病気休暇で学校を長期欠席を余儀なくされた。 |
恋: | 宣伝カーが来ることもありました。砂埃と共にチラシや風船などをばら捲いていきました。争って拾いました。 |
職員室: | 骨皮スジコって感じの小野寺カツコってババー教師はすぐ生徒を叩くヒステリー暴力教師でサイテーのクソババアだった。今ならとっくに懲戒免職もん。もう何十年も前なのでとっくに死んでるだろうけど。沢田幸男って教師も陰険でいじわるで保護者の前では良い教師ぶる最悪なヤツだった。クラブ活動の時、トイレに行く途中でちょっと走っていたら早速ケチつけてきて騒ぎながら行くならトイレに行くな!と理不尽な事を言われたせいで限界までトイレを我慢していた熊谷まきさんはお漏らししてしまい気の毒でした。沢田のせいで。 |
プール: | 当時はプールは南側にあって長さが12.5mしかない短いものでした。夏が待ちどうしかったなあ。プール |
プール: | 小学生の頃は女子に生理があるのを知らなくて、お腹痛いと見学している女子を見て、あいつズル休みしていると思ってました。 |
給食: | 給食がとても嫌いで、小学校生活6年間は、減らしてばかりでした。 |
卒業式: | 修学旅行とか遠足のてーまが有れば良いけど無いのでここに修学旅行の時の話を。クラスにT君という知的障がいの子がいて、あまり会話は出来なかったけれど、それなりにクラスになじんでいた。特に音楽に乗りやすく、指揮者のようにタクトを振るしぐさをよくしていた。修学旅行の時は母親なのか、もしかして祖母なのかしれないけどおばさんが付き添いで同行していた。旅館で余興タイムになり何人かが出し物をし、間が開いたころ、誰かが次はAちゃん(T君の名前で、通常みんなからそう呼ばれていた)の番や、という声がかかった。するとみんながそれに同調し、担任の先生も同じことを言いだした。するといきなりおばさんが出てきて代わりにマジックをしますといい、箸袋の両端を先生と生徒に持たせ、それを箸で切ると言い何度か切る真似をしたのち、「これは切れません。切っても切れない師弟の間柄」という説明をしました。小学生とはいえ高学年だから当然意味は分かるけど、それほど面白い話でもない。また誰かが、今度はAちゃんと言うと、担任はたまらずもういいからと止め、おばさんにお詫びを言っていました。クラスではよくある光景だったけど保護者から見れば居たたまれないことだったんですね。何十年か経ってT君の家だった小学校すぐ近くのお店はなくなり、当時でも珍しかった畑も消えていました。 |
保健室: | 注射筒の列❗ |