北海道七飯高等学校の屋上

懐かしい北海道七飯高等学校の記憶を共有するページです。

北海道七飯高等学校の屋上

北海道七飯高等学校の屋上での懐かしい記憶を書き込んでください。古き良き想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば屋上でやった今だから言える秘密やなぜかそこにあった物、噂になっていた怖い話など教えてください。

北海道七飯高等学校
屋上の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)夜になると屋上にお化けが出るといううわさがありました。










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の屋上での記憶

屋上での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 屋上での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
屋上屋上へ行く階段に扉があって、鍵がかかっていて行けなかった。でも1回だけ空いていたことがあって、友達3人で入ってみたら階段の上の方にガムテープでぐるぐる巻きにされた首のない人形みたいなのが置いてあって、怖くて戻ってきた。
屋上二年生の時、クラスで、文化祭のための映画の撮影をしました。
屋上先輩のK様と朝の屋上で交換日記を交換❣️今お元気でしょうか
屋上アマチュア無線の21MHz帯用の八木アンテナがあった。
屋上この、SNSヤバい❗ランダムに登録乗せてる
屋上高校3年生の冬に全クラスともに写真撮影したので卒業アルバムに載りました。これも良い思い出です。
屋上屋上にプールがありました。
屋上渡り廊下のベンチに横になるのが好きでした。 通学時の登坂が辛かったですね!
屋上夜になると屋上にもぐら以外が全部出てくるといううわさがありました
屋上松任高校には屋上がありませんでした。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
KTRが嫌いだ
校庭狭い校庭でしたが文化祭のフォークダンスは忘れられません。
運動会クラスみんなで一気団結して長縄をやっていたのを思い出します。
屋上1,2年生は昼休み時間に応援歌練習が飽津ので意2,3、校自の休み時間に弁当㋾食べたこと、先輩には必ず帽子を取って挨拶しなければならなかった事が、なつかしい。
感謝毎週のレポート提出で訓練され、纏めるのが好きになりました。製造業ではバリバリ活かせてます。
文化祭祭の終わりはファイヤーストームとフォークダンス。いつもサボって屋上から見ていました。
何度でも言うぞ‼柏倉美令さんが、大好きだ❗この思い、never give up!
記録獅子が森が好き
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
保健室保健室 小沢先生教室の隣で休み時間自習の時はいつも大変お世話になっておりました。


ページの先頭へ