北海道札幌英藍高等学校の図書室

懐かしい北海道札幌英藍高等学校の記憶を共有するページです。

北海道札幌英藍高等学校の図書室

北海道札幌英藍高等学校の図書室での懐かしい想い出を書き残してみませんか。懐かしい想い出をぜび皆さんと共有してください。
例)あなたはどんな本が好きでしたか?
  変わった本がありませんでしたか?
  例えば図書室にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。
  

北海道札幌英藍高等学校
図書室の思い出

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例)図書室にはすっごいでっかい腹ペコ青虫の本がありました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の図書室での記憶

図書室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 図書室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
図書室図書室の位置が少し遠いです。しかも、隣の学校の範囲にあるので。
図書室丹尾真斗という架空の生徒が出るといううわさがありました。
図書室高3は30分早く来て勉強した
図書室居心地がよい
図書室新校舎に移ってからも図書室の思い出はないんですが、卒業アルバム見ると図書室らしきものが写っているんだよなー
図書室敷地の角にあり、校舎取り壊し後もしばらく残っていましたね
図書室広さも十分で落ち着いて勉強が出来ました。
図書室1970年頃図書室の受付の方がきびしく、気楽に本を借りるという雰囲気ではなかったですね。今から考えると、借りる方のマナーすごく悪く、厳格に対応されていたのでしょうね。
図書室改造計画中止のお知らせ
図書室恋空のロケ地

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
教室今から40年ほど前のゆうひの校舎は床が板張りで校長室前の床板が腐ってペコペコ
校庭ほとんど人工芝だったため遊びやすかった
体育館体育館の裏でタバコ吸ってたなぁ
下駄箱竹〇君が下駄箱の匂いに興奮していた
屋上下駄箱のとこでパン売ってたよね~。 来年5月、同窓会が消滅します。神奈川県立横浜日野高等学校のHPとFaceBook見てね。
職員室卒業して担任の春日先生や体育、水泳、柔道での岡田雅先生と英語の竹内先生と書道の真理先生とお会いしました❗
体育館尼産卒業生の井上 竜夫さん(故人)が谷しげるさん(ご健在)との漫才コンビ「ざ・どっきんぐ」で体育館で漫才をされた。
部活のキャプテンが好きだ
教室始業式は毎年4月9日。しかし2000年(平成12年)は4月9日が日曜日だったため、4月8日(土曜日)を急遽(きゅうきょ)始業式とし、4月9日(日曜日)を休養日、4月10日(月曜日)を入学式(2年生・3年生は休み)となった。そのため他校は4月10日(月曜日)が始業式という学校が多く、事実、道ですれ違った際「学校は?」と聞かれて「きょう入学式で(4月)8日が始業式だった。」と説明した。(靴を買いに行く途中。)
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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