青森県立五所川原高等学校の図書室

懐かしい青森県立五所川原高等学校の記憶を共有するページです。

青森県立五所川原高等学校の図書室

青森県立五所川原高等学校の図書室での懐かしい想い出を書き残してみませんか。あの頃の懐かしい想い出をぜびみなさんと共有してください。
例)あなたはどんな本が好きでしたか?
  変わった本がありませんでしたか?
  例えば図書室にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。
  

青森県立五所川原高等学校
図書室の思い出

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例)図書カードが好きでした。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の図書室での記憶

図書室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 図書室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
図書室図書部だったので、昼休みも放課後もみんなで過ごしていました。
図書室冬休み前日に保育園で行った読み聞かせ
図書室1970年頃図書室の受付の方がきびしく、気楽に本を借りるという雰囲気ではなかったですね。今から考えると、借りる方のマナーすごく悪く、厳格に対応されていたのでしょうね。
図書室半開架式の書架は、下部が少し開いている透明のガラスがはめ込まれていて、書架から取り出したい本があれば、司書に言って利用者側から、その本の下部にあるラベル部分を指で押し、書架の反対側にいる図書館員が、指で押されて、少し飛び出した本を引き抜いて、カウンターの出納窓口で貸し出し手続きを取ってくれる。という方法でした。今からにして思えば、とても閉架式から開架式に移行する時代の貴重な貸出方法でした。
図書室自分は本を全く読まないのですが、好きな女の子がいつも図書室で本を読んでいたので足繁く通っていました。
図書室日常
図書室昼休みに好きな子がいつもいたから
図書室冷暖房がしっかりしてたから、真夏と真冬は人がいっぱいだっけ
図書室図書室で先生がいちゃいちゃしてたのを目撃したよ。ヤバイヤバイ(゜゜;)
図書室昭和40年の図書館には、半開架の書架があった。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
校庭体育祭があった日、トンボが沢山飛んでいた事しか覚えてない(笑)
文化祭懐かしいけやき祭! 当時、朝高の定時制に通ってました。仕事は、自身の経営するPA屋でした。当時は、朝霞西高とか、早稲田大学、中央大学等、幅広くの学園祭に音響担当で呼ばれてました。その中でも、朝霞高校のけやき祭は、3年間受持しましたが、どれも懐かしく今でも鮮明に記憶に残っています。中でも、飛びっきりだったのは、高校の学園祭では例のない、電源車まで投入して音響も照明も設備した事ですかね?体育館にミラーボール付て回しちゃいましたから!笑 今は、どうかわかりませんが?当時の文化祭実行員は、全日制と定時制は、合同で話し合いをやってましたし、後夜祭では、全日制と定時制の合同バンドで、ステージで盛り上がったものです。私自身も含めて、きっと、今も思い出に残る高校時代の思い出として記憶されていると思います。皆んなに出会えて、本当に良かった。
教室3年間一階だった。
教室ロック同好会で空き教室を使ってました
音楽室1976年卒業生です。音楽同好会に3年間入っていました。 当時は音楽室はありませんでしたので、古い教室を使い洋楽や日本のフォーク&ロックを練習して文化祭等で練習していました。卒業後、専門学校に進学後、全国ツアー等の企画制作会社に就職。音楽と共にある人生を歩いてます。
文化祭招待券なければ生徒以外は入れなかった。
教室むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は
入学式そろばんの検定試験で来た学校の生徒になるやなーと思った。
図書室赤毛のアン
文化祭文化祭で女装してロックを歌った


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