群馬県立伊勢崎商業高等学校の伝説

懐かしい群馬県立伊勢崎商業高等学校の記憶を共有するページです。

群馬県立伊勢崎商業高等学校の伝説

群馬県立伊勢崎商業高等学校学校に伝わる伝説的な逸話、例えば物凄い特技を持った生徒がいた、すごいことを成し遂げた/やらかした人がいた、超絶人気のある先生がいた、有名人が来た、テレビ撮影があった、ドラマに使われた、宇宙人が来た、学校の地下には秘密基地がある。。。などなど。ちょっと嘘っぽい話でも、あなたが知っている学校に伝わる伝説を教えてください。

群馬県立伊勢崎商業高等学校
伝説の思い出

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例)学校に伝わる伝説・逸話










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の伝説での記憶

伝説での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 伝説での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
伝説空き缶を入れると10円でてくる機械に入れるもんだから近くの自販機の空き缶あんま入ってなかったような気がした
伝説2007年の卒業生で、全日本なわとび選手権大会に出場して、チャンピオンになった人がいた!
伝説先輩に右ストレートもらい入院
伝説館山高校陸上部に所属していた堀米さんは北京五輪に出場しました。
伝説所さんのダーツな旅の撮影でスタッフさんが来た
伝説親が大谷行ってた人は何故か子供も大谷行かせる人多い。大昔はお嬢様学校と言われてたらしく子供が他の高校行ける頭レベルあっても推薦で行かせる変わった親多い
伝説キムワイプを崇めよ
伝説JR周回とか懐かしい
伝説何も無いはずの屋上に「屋上掃除」の当番が有った。要はタバコの吸い殻掃除でした。
伝説その昔、本庄東の生徒が他校の生徒にちょっかい出されたり絡まれたりするとヒーローみたく助けに来る二人組が伝説

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
下駄箱下駄箱はもちろん学年によって場所が違う。1年生のとき(1998年・平成10年)は改装工事があったので、1学期までは場所が違ったが、2学期になり改装工事が終わると場所が移動し中庭(テニスコート)ができ、横に自転車置き場もできたため増築し下駄箱も中(なか)ほどに移動した。2年生のころ(1999年・平成11年)は生徒入口正面真ん中の辺りで、3年生のころ(2000年・平成12年)になると3年生の下駄箱は生徒入口正面手前に移動した。ちなみに、教職員専用の下駄箱は別の階段を登ってドアを開けるとすぐある。階段を登ってすぐドアを開けるとある。
トイレうんちブリブリ〜
校庭主に、体育の授業や体育祭の練習の時に使用して居ました!
校庭サッカー 野球 陸上部が使ってた
屋上自殺
伝説宮藤官九郎さんをお招きし、体育館で講演をしていただいたことがあります。
音楽室私は音楽を選択していました。岩瀬先生でした
体育館バスケ部専用体育館、バレー部専用体育館
記録開校当初、男子夏服は白カッターシャツにアイボリーズボン。私服と見分けが難しく下校途中に千里中央に寄っても「一旦帰宅しました」と生活指導の先生を言い包める輩も。逆に冬服は当時珍しい紺ブレザーにグレーズボンですぐ東豊中高校の生徒とバレた。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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