例)学校に伝わる伝説・逸話 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白伝説: | 文化祭前日にコンクリに黒スプレーで落書きして謹慎処分 |
伝説: | じゃんけん賭博 |
伝説: | 四階から三階に飛び降りました |
伝説: | 生徒会長が壇上でスピーチする時マイクを使わずに、大声で「私は豚が好きです」と言ったよう。 |
伝説: | 空き缶を入れると10円でてくる機械に入れるもんだから近くの自販機の空き缶あんま入ってなかったような気がした |
伝説: | テスト中にゲームをやって「辞書です。」と馬鹿正直に答えて1週間停学になった人がいる。(その代だとポケモン停学と言ったら分かるほど有名) |
伝説: | JR周回とか懐かしい |
伝説: | 音楽部が合宿中に女子風呂を盗撮。関係ない一年生は巻き込まれて可哀想。 |
伝説: | その昔、本庄東の生徒が他校の生徒にちょっかい出されたり絡まれたりするとヒーローみたく助けに来る二人組が伝説 |
伝説: | 一年の二学期開始時に転校したが、いきなり夏休み中に在校生が自殺をし、教師からの訓示が学校に絶望しても命は大切にしろと、当たり前の話が聞いていて恐怖だったが、それなりの学校でしんどかった。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
怪談: | 4階のエレベーターホールに出るらしい |
告白: | 戸口智佐代さん、大好き |
音楽室: | 吹奏楽部でした。コンクールに向けて頑張ってました。 窓を開けて、爽やかな風を受けながら練習していたことを思い出します。山口先生元気かな…。 |
感謝: | 昭和33年遅生まれです。1年3組、2年3組、3年4組でした。今ご健在かどうか、分かりませんが、1年、2年の時の担任で、地学を教わりました渡辺(康)先生、3年の時の担任で、日本史を教わりました、渡辺(邦)先生、またその他の先生方及び、同級生の皆様、色々ご迷惑をおかけしました。すみません。ありがとうございます。また再会できましたら嬉しいです。 |
文化祭: | 12期 |
教室: | 高校2年生になって、数学は1学期の最初に数学Aの内容を勉強するが、時間割には『数学Ⅱ(に)』と書いてあるため、数学Ⅱの教科書を間違えて持ってくる人がいた。(ワークもかな?) |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、薫英の同級生たちの中では、母親から、子供扱いされている人は、私一人だけです。母親から、子供扱いされる度に、薫英の同級生の人たちの顔を、思い出し、イライラし、金曜日は、仕事を、待つ事が、多く、金曜日には、仕事を、待っている時に、母親から、子供扱いされる事を、思い出したりする事と薫英の同級生の人たちの顔を、思い出したりする事が、絡まってしまい、心の不調を、訴えるように、なり、令和元年12月27日から、金曜日には、暫く、仕事に、行けなくなりました。 |
トイレ: | お昼まで待てなくて、トイレで皆で休み時間パン食べたね。懐かしい思い出。 |
謝罪: | 33年程前の話ですが、今でも心の中にあります。 |