奈良県立北大和高等学校の下駄箱

懐かしい奈良県立北大和高等学校の記憶を共有するページです。

奈良県立北大和高等学校の下駄箱

奈良県立北大和高等学校の下駄箱での今でも忘れられない思い出を書き残してみませんか。懐かしい想い出をぜびみなさんと共有してください。
例)下駄箱にはどんなものがありましたか?
  下駄箱の上に何か飾ってありましたか?
  下駄箱でラブレターもらいました?
  例えば下駄箱にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。
  

奈良県立北大和高等学校
下駄箱の思い出

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例)下駄箱にラブレターこっそり入れました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の下駄箱での記憶

下駄箱での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 下駄箱での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
下駄箱稔に下駄箱は存在しない
下駄箱靴を履き替えるときは、画ビョウないか確認してたぜ
下駄箱下駄箱のラブレター。ありがとう。帰り下駄箱の前でさよならのキス。今は懐かしい思い出。あのときの彼元気かな?
下駄箱土足のままで授業なので下駄箱は無かったな。
下駄箱下駄箱のところで、話しながら一緒に帰る人を待っていました。時にはお手紙が入っていたり•*¨*•.¸¸☆*・゚懐かしいですね。自転車だったり歩きだったり。
下駄箱普通の下駄箱でした。校門入ってすぐ来客用の玄関みたいなのある
下駄箱下駄箱はなく、ロッカーが二段になっているのでその下段にしまうシステム!
下駄箱 好きな人の下駄箱に メアドを書いた紙を 入れよーとしけどクラスメイトに やめときってとめられた(笑)
下駄箱ロッカー大きくて嬉しかった。上履きは履き潰してもはやスリッパ。男子の上履きに落書きしたりしたなぁ
下駄箱ある朝みんなのスリッパが繋がって円になっていた

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
屋上夏休みに勉強の合間に屋上で青春した
女子可愛くて好きだった
教室廊下で元同級生がバイクで走ってた。
体育館今は亡き桂歌丸氏の落語を聴くことができたので、最高の思い出です。
音楽室音楽の先生が校内で一番美しい方でした。もう10年も前の話です。記憶も褪せてしまいましたが良い思い出です。有難うございました。
下駄箱バレンタインのチョコが15個
トイレ少々バッチイ思い出・・・新しく出来た校舎の女子トイレ掃除での出来事。和式便器の脇にどなたかの立派な置き土産があり、それをだれが流すか騒動に・・・どーするかで騒いでいたところ、物理の先生(男)がやってきてゴミ拾いトングを使って誰かに流させたようとした。蜘蛛の子散らしたように逃げ回ったが、一人の女子が捕まり悲鳴と「うらぎりものー!!」の叫び声が響き渡り、お勤めを果たされました。災難だったでしょうが助かりました。ありがとう。。。
職員室卓先生はきれいな人でした。
卒業式学校で卒業式やらなくて、板橋の会館を借りてやったような記憶があるのですが。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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