例)夜になると飼育小屋にお化けが出るといううわさがありました。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
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恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白飼育小屋: | チャボの飼育係りでした。 |
飼育小屋: | グラウンドに逃げたウサギを よく捕まえに走り回った(^^) |
飼育小屋: | 飼育係の時兎が飛び出してしまってみんなで必死に追いかけた事を思い出しました |
飼育小屋: | ラッキー(オス)とラビ(メス)というウサギが夏休み中にいたちに噛まれてラビが死んでしまいました…皆泣いてたなぁ |
飼育小屋: | 松下体育館側の裏庭にあった。右がニワトリ、左が白うさぎだった。ニワトリ小屋の掃除当番は雌鶏が襲ってくるので怖かった。裏庭はちょっとした森っぽくてワクワクした。 |
飼育小屋: | 鳩 アヒル |
飼育小屋: | ありませんでした。 |
飼育小屋: | いきものかがりに成ったが、餌やりと池の掃除が嫌でサボったら先生に怒られた…とっても臭かった事しか覚えてないなぁ〜 |
飼育小屋: | 53年前ウサギの飼育室があった 生徒が世話しておりウサギの糞は、今でも校舎の周りにある椿の肥やしとして埋めていた |
飼育小屋: | 飼育小屋からゴキブリやネズミなどがいっぱい出てきました |
怪談: | 陶原小学校で耐震工事をしていました。いつものようにその日の作業が終わり戸締まりをしに校舎内をすべてまわりました。戸締まりを終えて外へ出て現場事務所に戻ると、上司が「まだ3階のトイレ照明ついてるぞ」「いやいや全部窓も閉めて電気も全て消しましたよ」外に出て校舎3階を見ると中央にある女子トイレの照明がついていました。(あれーおかしいな、全部消したのになー)まーしょうがない消しに行くかー。職員玄関から校舎内へ入り3階の女子トイレへ行き照明を消す。何か気味悪いなーって思ったけど、特にトイレには何事もありませんでした。また職員玄関から外へ出ようと思い、玄関の方へ向かっていき、そろそろ玄関前に着きそうなとき、ふと玄関の床に目をやると、、なぜかそこに小さな赤い靴がキレイに揃えてありました。まだ低学年のものと思われるその赤い靴がなぜ今このタイミングでここにあるのか。当然3階の女子トイレの照明を消しに校舎に入ったときにこの靴はなかった。ましてや職員玄関に児童の靴があること事態不自然ではないか。。なんてことがありましたが工事は無事に終わりました。 |
運動会: | 6年はソーラン節踊る。 |
給食: | 1年生から6年生までが一緒に集まって食べるランチルームが楽しかったなぁ〜 |
教室: | 墓場 |
告白: | 親が邪魔する。今日、CD買って来るつもりなのに、駄目みたい。会いたいのに。会いたいです。親 |
告白: | Mさんからラブレターを貰った。Mさんは机の中にこっそり入れてくれてたみたいだけど、それが何かの拍子に床に落ちていたみたいでそれをクラスの別の人に拾われて(笑)校庭でドッチボールをしてた俺のところに手紙を持って冷やかしに来た。内心物凄く嬉しかったんだけど、まだ幼くて照れ臭かった俺は「お前達のイタズラだろ!」と破って捨ててしまった。帰りの学活の時にMさんが「イタズラで私の名前を使って手紙を書いた人は名乗り出て下さい!」と涙ながらに訴えた。俺は「何だ、本人じゃないのか」とガッカリした。名乗り出る人は居なかった。数日後、俺の自宅に可愛らしい封筒で俺宛に手紙が。差し出し人はMさん。親に見つかるのが恥ずかしかった俺はこっそりトイレで手紙を読んだ。『あの時は恥ずかしくて人のせいにしたけど、本当は私が書きました。好きです』といった内容だった。物凄く嬉しかったけど、やっぱり幼くて恥ずかしがり屋だった俺は返事もせず、学校でも素知らぬ顔をしていた(今思うと最低だな)。その後卒業してお互い引越しもしてしまい連絡することは無かった。俺の初恋の人Mさん(もう苗字は変わっていると思うけど)どうしてるかなぁ。 |
卒業式: | コロナウイルスの関係で在校生が…おらず少しの時間しか卒業式が出来ませんでした。悲しかったですね… |
記録: | 二宮金次郎の石像があった! |
怪談: | 私は四年の夏休みに山口に戻った者です。私が作った物もまだあるかもしれませんが。これからの話は私が他者からき聞いた話です。五年の女子トイレの四番目のトイレに四時ババがいる。四時時事 |
教室: | 昭和26年、3年生の時の担任は窪山先生だった。その先生は、雪が降っても、他の組がやっていた雪合戦をやらせてもらえなかった。雪玉が顔にあたって、けがをしたことがあり危険だからということだった。その代り、授業が終わる1時間前には、机を後ろに運び、教室にチョークで土俵を描き、片足相撲をさせてくれた。これは片足を上にあげ、その足を手で持ち、残った片足と片手で相手と押し合いをして相手を土俵の外に押し出した方が勝ちという競技であった。背の小さい人から順番に出て対戦した。もちろん男女別々に行った。これで体が結構暖かくなった。その時以来、冬の寒い季節の3年生が終わるまでたびたびこの相撲をさせてくれた。こんなことを今の時代にしたら、きっと他の先生からも父兄からも授業を犠牲にしてなんだと非難されることでしょう。今思い出すと、よい先生だったし、こんなことでクラスもまとまったし、よい時代だったと思う。 |