鹿児島県立鹿児島東高等学校の記録

懐かしい鹿児島県立鹿児島東高等学校の記憶を共有するページです。

鹿児島県立鹿児島東高等学校の記録

鹿児島県立鹿児島東高等学校記録といえばギネスブックですが、ギネスに限らず、さまざまな世界記録、日本記録、各種大会の優勝記録や連勝記録、さらにはテレビや新聞に紹介されたなどなど何でも構わないので、あなたが知っている記録的なお話を教えてください。

鹿児島県立鹿児島東高等学校
記録の思い出

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例)学校の記録的事件










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の記録での記憶

記録での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 記録での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
記録森田健作さんの映画の撮影に校舎が使われた
記録学校の記録ではないけど、3年間皆勤賞だった私~無遅刻無欠席、学校が楽しかったからこそ通学できた~いい友達といい先生に恵まれて~卒業式の前日に何人かの皆勤賞の人が表彰してもらい記念のアルバムをもらったな~いい思い出になりました
記録獅子が森が好き
記録簿記会計3級先生に、認められました。
記録昭和45年当時フェンシング部があり、優勝回数もかなり多かった。ちなみに、フェンシング部があったのは県内に3校だけど。  
記録伊勢神宮の修学旅行
記録東大出たものだけで親睦会をしたいね。
記録暴力を奮って暴れているとかでもなく、無抵抗な娘はいきなり暴力を貰いました。何か悪さしたわけでもなく不正入試をしたでもなく。ただその中部高校obは社会的地位の高い仕事についていると言う理由。その暴力を奮った中部高校のobの子どもも中部高校。でていってくれ。
記録ある人が暴れて学校の器具、ガラスを破壊していました。。
記録覚えてますか?

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
音楽室部活だ思い出いっぱいです。アフリカンシンフォニー!
職員室卒業後にクラブに寄るついでに担任に会いに行ったら「何しに来てん」(泣
校庭校舎は、プレハブでその横にトタン屋根の自転車置き場がありました。
音楽室楽器演奏した
謝罪ブスで芋でチー牛なき〇きさんは良い引き立て役でした仲良い振りしてたけど周りには悪口ばっか言ってごめーんね
校庭校庭がコンクリートで狭く、サッカーやテニス部が使用していたので、隣の中央区野球場でよく練習したな‼️
プールプール施設は無かったです。
トイレトイレで、上級生から金を取られた
保健室職員室の近くを通るたびにタバコを吸ってる地理の先生がいて、その先生が通るたびに臭かった。
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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