例)学校の記録的事件 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白記録: | 昭和45年当時フェンシング部があり、優勝回数もかなり多かった。ちなみに、フェンシング部があったのは県内に3校だけど。 |
記録: | たんおまなと |
記録: | 休みすぎて単位落としたのか?赤点取りすぎてたのか知らんけど進級出来ないのが数人いてダブってて歳違うのに同級生になってるのが数人いた |
記録: | 中学浪人して、大学も3回浪人、医者はあきらめ浮浪者だね。 |
記録: | 看護科の同級生からひどいいじめを受けた、自分は途中で学校を辞めてしまい苦しい思い出を植え付けられた。その人は性格きついから看護師にあってるわ。今頃ヒィヒィ言いながら働いていると思うとざまあみろって思う |
記録: | 苦手な人、嫌いな人がその辺にいたら悪口三昧と暴行をしても良いと言う考え。社会的身分が高いから暴行をしても良いとか、大学に進学をするから悪口三昧と暴行をしても良いと考える行為。社会的身分が高いから個人を暴力を奮っても良いとか、それが罷り通っている社会が怖い。高校に入る前、公でない所ですでに暴力奮って学校生活を送っている今一年生。祖父母も過去に暴力を奮って逮捕。それが中部高校の祖父母。暴力をもらった娘は病院通いしました。高校からでていってくれ。 |
記録: | 1971年に大阪府下71番目に出来た公立高校だったので「71」をあしらったデザインの校章だつた。 |
記録: | 覚えてますか? |
記録: | ブルマ |
記録: | 簿記会計3級先生に、認められました。 |
屋上: | 昔(女子高)のころは屋上にプールがあった。現在は老朽化のため使用禁止で使えなくなっている。2年生のころの教室の横に階段があり、鎖が警察の立入禁止のロープのように張ってあり、真ん中に重たい石の標識のようなものが置いてあった。 |
教室: | 校長の息子が巨人軍のキャンプに遭遇したいとかな我儘で修学旅行の宿が巨人軍の宿泊先と同じになったと噂がありました |
校庭: | 部活のコーナーに書けなかったのでこちらに書きました。野庭港は1975年に創立しましたが、野球部が甲子園夏の地方大会に出場したのは1977年が最初です。初戦で善戦むなしく横浜商工に1-6で敗れました。その時の野球部は、部員が9名しかおらず、誰一人欠けることが許されませんでした。当時の新聞には、「野庭高校野球部員9名、手駒なし!」と掲載されていました。それから、2002年までに26回出場し、1984年には5回戦までコマを進めました。全成績は16勝26敗でした。 |
教室: | 卒業アルバムをなくしてしまい…その当時の自分や友達などが見たいです |
文化祭: | 生野高校と姉妹校であったので定期戦が行われていました。 |
教室: | (食堂の話)食堂が2時間目くらいから開いており、2時間目終了後の休み時間に食堂で早弁をする人が結構いたので、「食堂の利用は3時間目終了以降」のおふれが出た。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
体育館: | そういえば体育館地下にあったなー。防音効果抜群だなって毎回思ってた |
教室: | 友達が遊んでいて窓ガラスを割ってしまった |
教室: | 廊下の窓から東京タワーが見えました。 |