例)苦労して作ったクレープの模擬店が大好評で楽しかったです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白文化祭: | 宇宙戦艦ヤマトを作った |
文化祭: | 運動会の縦割り、3年間リーダーしんどかった。部活のコーラス部厳しかった。先生からの使いっ走り、よく放送で呼び出されホワイトハウスに印刷しにも行ったなぁ… |
文化祭: | 文化祭で女装してロックを歌った |
文化祭: | ジブリのメドレーを仮装して歌ったのだが, そのDVDを教育実習に行った際に見させてもらい懐かしさが込み上げた |
文化祭: | 電気科の催し物で、電気列車の模型を走らせたり、UFOを浮かしたりしてた。 |
文化祭: | 踊ることが嫌いな私は誘っていただいてもフォークダンスでは壁土でした。 |
文化祭: | 自分がいた年は、午前のステージの部ではソロだとバラードやボカロ曲を歌う人、アニメキャラのコスプレで踊る人、グループだとK-POPを踊る人たちや10分弱の演劇をする人たちなどがいた。毎年少なくとも3~4組ほど有志がいる。観てる側は音楽に合わせて手拍子をしたり各々持参したサイリウムを振ったりハメを外さない程度に盛り上がっていた。 |
文化祭: | シェイクヒップ |
文化祭: | 生野高校と姉妹校であったので定期戦が行われていました。 |
文化祭: | BON! |
恋: | クラスは違ったけど、よく顔を見かけていた小柄で可憐な女性が好きでした。いつも会うと、おはようと笑顔で挨拶してくれたあの子。今頃どうしているのかな。 |
恋: | 女子生徒はみんな松田唱吾君に夢中だったよぉ~ん |
恋: | 追伸 S38年市立A野中学を卒業して四天王寺高校に行かれたY江・S木(旧姓)さんへ。 A野中学3年11組(伊藤先生)で一緒だったH・S谷です。府立S吉高校に行った同級生です。多分この様なサイトを読まれないかとも思いますが、可能性を信じて書いております。 もし私のフルネームをご記憶なら、是非Googleにアルファベットで私のフルネームを記載して頂ければかなりの情報が記載されております。現在の自宅の住所の記載もあります。是非コンタクトがとりたいです。私は今東京のCh大学の教授をしております。 ところで貴方の初恋の人だったT・F君は残念ながらかなり若くしてお亡くなりになりました。貴方から貴方の初恋の人の名を告げられた時は何とも複雑な思いでまごついた次第です。貴方は私の初恋の人だったからです。ですのでその日の夜はよく眠れなかったことを記憶しております。 それもこれも今となっては53年前の想い出。現在68歳。来月69歳になります。この歳になっても初恋の思いは胸を恋焦がさせます。お幸せな毎日を送られているかがとても気になる次第です。 |
教室: | 当時は木造2階建のギシギシと音をたてるような教室だった。卒業してから行ってないが、新しい建物に変わっているだろう。当時、ビデオカメラがあったら映像でのこしていたのに。ふるぼけた写真しかない。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
下駄箱: | 卒業する年のバレンタインデーに、好きな先生の下駄箱にチョコレートを入れた思い出があります。本当は手渡ししたかったのですが、先生がお休みだったので(笑) |
体育館: | 体育館での映画鑑賞会。『いちご白書』を観て友が「大学に行ったらボート部に入る」と言った。 |
告白: | 定時の女の子が大好きだった |
音楽室: | 吹奏楽部として発足したのは、入来商業高校の時代s41年に応援団所属の吹奏楽部より正式独立するが、楽器がまだ少なく7~8人でスタートし翌年から徐々に種類と数が増えていった。顧問はuezno先生創部のために、一生懸命尽くして頂きました。50数年前がついこの前の様です。 |
プール: | プールに入った記憶がないのだが… |