京都市立大原小中学校尾見分校の教室

懐かしい京都市立大原小中学校尾見分校の記憶を共有するページです。

京都市立大原小中学校尾見分校の教室

京都市立大原小中学校尾見分校の教室での様々な思い出を教えてください。古き良き思い出をぜび皆さんと共有してください。例えば教室にあった不思議なものや風景など教えてください。

京都市立大原小中学校尾見分校
教室の思い出

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例)掃除用具入れのゴキブリホイホイがいつもいっぱいでした。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の教室での記憶

教室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 教室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
教室床も机も窓枠も、全て木製でした
教室あの船は一体どこへ行くのだろう。そう考えている内に「何見てるの?」
教室6年間のうち4年間は新しい校舎だった 1年たったらもう床が汚れてたし壁にも穴が空いてた けどなんやかんや1番の思い出の場所
教室1998年1月
教室エアコンが着きました!
教室これを観る卒業生はいない
教室裸足で運動会したな!白根団団長でした!
教室壁がないからちょっとうるさかった
教室ひとクラスしかなかったです。でも、ひとクラス60人でした。
教室教室のテレビで見る「働くおじさん」って番組が楽しみやった。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
トイレ今のように一人一人便器別になってなく、入口出口の扉もなく吹きっさらし。男子は一段上がって壁に向かって一斉に放水。黄ばんだ放水跡が見え、臭くて、下も流れるに任せた自然放水路でとても綺麗といえる代物でなかった。嫌だったのは、生え始める頃隣合わせのいたずら好きな児童らに見られ冷やかされること。だから他に児童がいないか、隣り合わせにならないよう距離を取っていた。それと、当時は大きい方も扉の下の方が無かったので、覗かれたり、そもそも大に入ったというだけで、○○が糞してたと全校噂され、とても学校に居られなかった。1度だけどうしても我慢ができず、家まで走って帰って済ませたことがあったが、あのときは必死の形相だった。兎に角、当時は嫌な思い出ばかり。今はもうそんなことは無いだろうね?
飼育小屋ウサギの赤ちゃん生まれたよね
教室壁が外れる。教室の大きさがかえられる。便利だけど風が強いとき壁が揺れてたな
僕は掃除をしてる時に時々話してる、Tさんにときめいてしまい、告白することにしました。卒業式の後の会にその人に告白しようと思ったのです。ですが、緊張してしまいTさんに告白できませんでした。そのTさんを困らせてしまい、後悔しています。できれば会いたいです。会って謝りたいです。Tさん、これを見ていたら、返信下さい
音楽室ペダルオルガンの空踏みで怒られた。ピアニカがあった。
校庭朝一番に, 校庭で サッカーが盛んでした 皇, ひとつしかない 校庭で 何チームも サッカーをしていましたメ ,おかげで 私は 前歯を折ってしまいました。 今は 入れ歯を 一本しています。 手入れが大変です。
運動会鈴木せんせー、運動会張り切ってたなー
プール告白
保健室吐き気が、あったときに、保健室の先生が、背中を擦ってくれたこと
体育館体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。


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