京都府立朱雀高等学校の感謝

懐かしい京都府立朱雀高等学校の記憶を共有するページです。

京都府立朱雀高等学校の感謝

京都府立朱雀高等学校学校時代にお世話になった先生や先輩、同級生などいますよね。その時に言えなかった感謝の気持ち、またその時は素直になれずに言えなかった気持ち、はたまたあの頃にはありがたみが分からなかったけど大人になった今振り返ってみると有難かったと感じる事など。伝わるかわかりませんが、そうした感謝の気持ちを今ここで伝えてみませんか。

京都府立朱雀高等学校
感謝の思い出

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例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます!










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の感謝での記憶

感謝での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 感謝での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
感謝大塚先輩は、今でもトラックのうんてんしゅですか
感謝13期同期諸兄とお世話になった先生方へ。同期会も無い様でしたので気になってました。私と実弟2人合わせて両方ともエンタメ世界TOPを獲りました。同期の思い出、先生の教え。特に三年男子クラスの高橋先生。文転し受験戦争を生き残り青学大入学し奮起し卒業し世間の厳しさ体験し社会人になりエンタメ世界で更に鍛えられ世界を獲り、今は日本中枢で世界相手に戦っています。それも楽しくも告白出来無い情けない自分を見直し正直に努力した結果だと思っています。未だ未だ未熟者ですが、先生の授業一限目に最前列で早弁した事、お詫びがてら見逃してくれた懐を見習っています。私も今は管理職や役員になっていますが過去を振り返り後輩若者に昭和最後の13期卒として気合いを入れ後輩育成に励んでおります。一つ残念なのは結婚しましたが、仕事し過ぎて帰宅出来ず嫁さんに逃げられ離婚し独り身で51になりました
感謝2020東京オリンピック控え、晴海近辺も近代化?悲しい思いも?まぁ~未来は、明るいかな!
感謝当時、吹奏楽団だった頃、清水先生大変お世話になりました。副部長、兼、学生指揮者を担当させてもらい、自信がつきました。先生が指揮棒を勢いよく振り飛ばしてしまった事件は今でも忘れません。笑笑
感謝古川せい子さんと出会えて楽しい高校生活が送れました
感謝古川せい子さんと出会えて楽しい高校生活が送れました
感謝こたつねこ、あの頃はTEL ありがとう、楽しかった思い出です✨
感謝確かに。また高校生に戻りたいなー
感謝学校がないのは寂しい
感謝飯田有紀 あの時親友になってくれてありがとう(^人^)お陰で今楽しく過ごしてます。KY

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
トイレ古~い成田闘争のポスターが貼られたまんまになってた。
体育館体育館の中女子トイレしかない
体育館昭和40年卒業、体育館が無かったので資金カンパをしたことを覚えていますよ
伝説花岡事件と関係ある
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
校庭久しぶりに皆に会いたいです
告白渚~憧れだったよ~((笑))
告白先生からして、とってもいじめが多かった
伝説フルチンでグラウンドを走る猛者
屋上屋上に図書室がありました。 今はないのかなぁ 花壇もあって思い出一杯の屋上でした


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