例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | ある時期の夕方に校庭に佇む5人の男の人を見たって先輩達から聞いたことがあって、その人達なのかわからないが、在学中6年間五人の男の人を校庭で見たことがあります。しかも5年生の時は、集会で五人主様の劇をするため練習で帰りが遅くなって、私は先生の手伝いをして職員室に向かってるときに校庭を見たら、髷を結った5人の男の人見たので、その時は『練習熱心だな』って思ったんだけど…よくよく考えると…男子児童が校庭に居るわけがない。だって…体育館の舞台の上にまだ居たのだから。やっば…ハッキリ見てしまったので、私自身…ヤバいのかな…疲れてるのかなって思った。だって…私が校庭で見たのは…五人主様集会でやる劇のラストシーンだったから。 |
怪談: | 五小の前はお墓だったと言う話や建て替えの時に事故で亡くなった人、私の母の同級生が亡くなったなど建て替えをするのは良いですが大丈夫でしょうか?卒業生として心配です。 |
怪談: | 学校の手前の山が、首吊り山と呼ばれています。 |
怪談: | 第二階段に、幽霊が出るらしい。 |
怪談: | 二宮金次郎の像にボールをぶつけると左右で持っている木の本数が変わるって噂を聞いたことがあります。友達が本当に投げて数えたら本当に木の本数が違いました。(元から違うと思います。)夢を壊してすみません…。 |
怪談: | 校庭にあるトイレは前は汲み取り式で暗く、オバケが出ると皆がよく言ってました。 |
怪談: | きたでええええ |
怪談: | 学校の近くにケンコーハムがあったのだが、死んだブタが大量に吊してあって、夜な夜なそのブタがブーブー泣いているらしい |
怪談: | 鏡が3つあるらしくて2つは見れるけど1つは屋上にあるらしくて全部に同じ願い事をすると願い事が叶うらしい。 |
怪談: | きれいな学校だからいません |
トイレ: | 遙か昔に「小宮清絵」とかいう八百屋の娘がおったそうな |
理科室: | 夏井川の岸のカヤの河原に行くと蛇の抜け殻を見かける事がありました。白いセロファンみたいにフワフワして半透明ですが蛇の形をしていて鱗も見えます。 |
トイレ: | 一年の頃、トイレがデカイと感じていたのが、六年の頃はちっちゃく感じたな~。 |
告白: | とうぶのナイトハイクで手を繋いで歩きましたものすごく嬉しかったです。 |
体育館: | 卒業式に間に合う様に、体育館の工事を急いで下さいました |
教室: | 81年卒と同じ学年で一時期在校。ひどいイジメにあってました。男子数人から殴る蹴るの暴行。Oはサッカー好き、Tは家がボクシングジムをやってました。もうひとりは母子家庭?のI。毎日暴力という記憶だけで実際どう過ごしていたのか、3年4年のころの記憶がとんでいておもいだせません。たぶんPTSDですよね。あのころなにがあったのか思い出したいのに思い出せない。ただただ男子女子にいじめられ、男子からは数人がかりで暴行をうけていたことが強烈に記憶にのこってるだけです。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
飼育小屋: | 最強の雄鶏がいました |
入学式: | 先生が名前を読み間違える、という事件がありました。てぇへんだ |
給食: | 鯨の竜田揚げ |