例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | 1番前の席に座って卒業式に参加していた。退場曲は卒業生アンケートで選ばれた、永井真理子の"ZUTTO"。凄く楽しみにしていたのに、1番に退場してしまったので、前奏の間に退場してしまった。歌が全然聴けなかった!退場した後、友達と「歌聴く前に出てしもーたがなー!」って大爆笑した! |
卒業式: | 卒業式の思い出は、卒業式も終わり教室に帰り、担任の先生から送られた言葉です。「これからの人生、色々なことがあるだろう。・運・鈍・根を送る。」と言われました。今でも時々、思い出します。教室ではクラスメートが名残惜しそうに教室から出ていかなかった。 |
卒業式: | テストの項目がなかったので卒業式のところに書いたが(打ったが)テストの項目もつくってほしい。例えば、こんな問題が出た、珍しい問題などetc。 |
卒業式: | クラス委員長のM君が、「卒業の日、クラスでお世話になったクラス担任のM先生に感謝の意味で、井上順の「お世話になりました」をみんなで歌おうと意見がでたが、なんやかやで結局、歌わなかった。今になって思えば、みんなで合唱し、先生に感謝すればよかった。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、今後、かおり友の会の同窓会の通知を、私の方へ、郵送しないよう、宜しくお願い致します。先述の通り、かおり友の会の皆様、さようなら。 |
卒業式: | 情報処理で1年留年したけど良く卒業出来たと思う。今では開発者で仕事しています。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、私は、これっきり限り、かおり友の会を、やめさせて頂きます。かおり友の会の皆様、さようなら。 |
卒業式: | 卒業式の次の日、3月2日は1時間目に卒業式のあと片づけをし、2時間目・3時間目に学年末テストを行った。(3月2日から4日間。休日をはさむ場合は次の週に行う。)卒業式は1年生は参加せず(休養日となる。自宅で家庭学習。)2年生から参加する。3月1日が来ると、卒業式よりもあと片づけ、学年末テストのほうが頭をよぎる。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、私と、同級生の殆どの人たちが、今頃、私と、違って、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なってるでしょうね。私を、いじめました人たちや昭和45年生まれのまだ、 50歳に、なってない人たちの殆どの人たちが、私と、違って、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なってるでしょうね。私に、とっては、かおり友の会は、親戚見たいな物だと、思いますけど、私は、かおり友の会の皆様と、縁を、切りたいと、思います。私は、同級生の皆様に、とっては、親戚のおばさん見たいな感じなだけで、私だけ、女優の芦田愛菜さん見たいに、立派に、なれず、イライラして、ネガティブ思考に、なり、泣いてしまいます事が、よく、ありますからです。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、薫英の同級生たちの中では、母親から、子供扱いされている人は、私一人だけです。母親から、子供扱いされる度に、薫英の同級生の人たちの顔を、思い出し、イライラし、金曜日は、仕事を、待つ事が、多く、金曜日には、仕事を、待っている時に、母親から、子供扱いされる事を、思い出したりする事と薫英の同級生の人たちの顔を、思い出したりする事が、絡まってしまい、心の不調を、訴えるように、なり、令和元年12月27日から、金曜日には、暫く、仕事に、行けなくなりました。 |
恋: | 同じクラスだったと思います!なかなか声をかけることが出来ませんでした! |
謝罪: | 素直に「ありがとう」や「ごめんね」と伝えることができなかった。あなたにとっても、私にとっても、心おだやかでありますように。 |
感謝: | 準特にいた、近藤さん元気 |
校庭: | サッカー 野球 陸上部が使ってた |
図書室: | 栄はTwitterが禁止されていました。なお、携帯禁止だったので、地元の友人とのやりとりは図書館のパソコンを利用して密かに行っていました。 |
教室: | 1年生の時、最初は出席番号順で座っていましたが2月期に僕のクラスは席替えがあり座りかたをどうするかで話し合いがありました。イスとりゲームみたく早いもの順、なんて案もありました。 |
音楽室: | 教室の後ろには、小部屋が二つあり。あれは、防音ルームだったのかな。 |
告白: | 外間望美さん好きでした。 |
プール: | メダカの楽園だったらしい。今はもうないけど |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |