北海道砂川南高等学校の入学式

懐かしい北海道砂川南高等学校の記憶を共有するページです。

北海道砂川南高等学校の入学式

北海道砂川南高等学校新生活の出発で胸をときめかせていた入学式。そこで会ったの現在の親友や恩師、楽しい思い出の始まりで得た忘れられない出来事、失敗した話や入学式あるあるなどを教えてください。皆さんで入学式の楽しい思い出を共有しましょう。

北海道砂川南高等学校
入学式の思い出

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例)入学式に遅刻してしまい大変でした。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

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想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の入学式での記憶

入学式での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 入学式での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
入学式入学式では担任から1人1人名前を呼ばれて立ち、最後のクラスの出席番号の最後の女子(クラスによっては男子)まで待ち、それが終わると代表の先生の声で「以上、⚪⚪⚪⚪以下⚪⚪⚪名の入学を許可します。」と言われて、入学を認められる。
入学式体育館で自分の名前を呼ばれて返事した。
入学式浅里由美子さんと須貝美和子さんを探しています
入学式入学式は毎年4月10日。
入学式今は、統合され変わったと思うが、入来商の校章とWHO(世界保健機構)のマークが、似ていたと思うのですが?確か蛇は、商業の神様と、言われるので校章になったと、聞いていたが近年コロナ感染症でWHO関係のニュースを見るたびに、入来商業高校とWHOのマークは似ていると思うのですが、私だけでしょうか?
入学式新設校の為、合格発表は当時の大楠高校が会場でした。入学式当日、初めて三崎口駅に降り立った記憶。駅に近づくにつれ、京急の車窓からの景色がどんどんローカルになるのに慄きました。今は開発が進み、高校周辺も賑やかになりましたね。
入学式1993年4月
入学式一期生だったので浦安中の体育館で
入学式廊下でケガ
入学式2024年は最後の入学式から丸24年になります。2028年は最後入学式から28年になります。最後の入学式から28年は最後の入学式行われた2000年と同じ曜日並びです。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
プール残念ながら山の上と言う理由で私がいた昭和54年当時はプールは無かったです。むしろ聞きたいのは今の木津高にプールが有るのですか?
感謝大里高校は途中で転校したので卒業生ではありませんが、サッカー部で初めて市の大会で勝ち抜き県大会に出場時間、ほぼ同好会扱いだったのでラグビー部の顧問の先生が大会向けのユニフォームを作っていただいた
おいおい、iもoもいいけど俺忘れてねーか?笑
保健室禁止物を預かってくれる優しい先生がいた。
職員室ひげ392先生元気ですか アンパンマンはゴルゴねたです 地理の先生トライアスロン狂、 さる吉先生は微分積分いい気分 1992_3D_KT 当時の先生は現役ですか。
怪談けやき館という建物の1階にある食堂では1月半ばの17:30頃に女性が現れるらしいです。
音楽室の前に呼び出され告白をもらったときのドキドキがいまでも嬉しい
卒業式学園紛争で荒れた年だったので、卒業式に出た記憶がない
職員室職員室の前に大きな木の箱の灰皿があった
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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