八重瀬町立具志頭小学校の体育館

懐かしい八重瀬町立具志頭小学校の記憶を共有するページです。

八重瀬町立具志頭小学校の体育館

八重瀬町立具志頭小学校の思い出す体育館の楽しかったりがんばった想い出を教えてください。あの頃の懐かしい思い出をぜび皆さんと共有してください。
例)体育館に珍しい運動器具はありましたか?
  学校イベントや学芸会で忘れられない出し物等を教えてください?
  体育の授業ではどんな運動やスポーツをやりましたか?
  

八重瀬町立具志頭小学校
体育館の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)体育館の裏にあった大きな木の前が告白スポットになってました。










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の体育館での記憶

体育館での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 体育館での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
体育館跳び箱の後ろの壁にある手形が怖い
体育館私が6年生の頃新しく出来た体育館の正面上に上靴をあげてしまい担任の先生から鬼のごとく怒られたことを思い出します。クラスメイトと共に長い棒状のもので落とした記憶だけが残ってます!
体育館粕屋町仲原剣友会小学生主体の剣道(社会体育の一環)
体育館5年生のときにやったクラス行事がとても楽しかったです
体育館体育館の上のところ?にみんな行きたがってた。
体育館三年生迄体育館はなかったよ。木造校舎で、二階で水をこぼすと 、一階に漏れた記憶あり。
体育館体育館の臭いが好きでたまにこっそり嗅いでいました。
体育館あまりにも古い話なのですが、体育館(講堂)の正面の左右に龍の絵?のような物があったのを誰か覚えていませんか?また、それは今どうなっていますか?
体育館体育館、あたらしくなりましたヨ
体育館私が六年生になる年に出来た。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
職員室小学4年の時道徳の時間がありました。担任山口猛先生は生徒に一人ずつ職員室に来るよう言って職員室の方に帰っていきました。私も順番で職員室に行くと山口先生が机に座っていて何もせず教室に帰っていいと言われました。 後でわかったのですが、職員室の床に新聞紙が落としてあったのを気付いてかたづけるか試していたようです。私は気づきませんでした。
飼育小屋飼育係の時兎が飛び出してしまってみんなで必死に追いかけた事を思い出しました
給食よく昼休み潰れてた
図書室図書室の中に秘密の通路がありました。
飼育小屋チャー人気。
校庭問題児と喧嘩ばっかりだったけど先生が毎回片付けてくれたのが面白かったやっぱしこうだと思いますよ
体育館天井にバレーボール挟まってたな
職員室小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。
体育館体育館で友達とバスケをしたり楽しかった。
保健室よく保健室に行くことがありましたので、とてもゆかりがあります


ページの先頭へ