あいつ今何してる? - What do you do now?

あいつ今何している

テレビ朝日系で2015年10月10日より毎週日曜 0:45~1:15に放送されていた番組。2016年4月6日から『ナニコレ珍百景』の後番組として水曜日の19時から放送。このページでは番組で放送される内容と、その内容についてコメントさせていただきます。 番組の公式ホームページはこちら。http://www.tv-asahi.co.jp/aitsuima/



放送日時

4月13日(水) 19:00~

出演者

ネプチューン(名倉潤、原田泰造、堀内健)、林美沙希
ゲスト:山崎育三郎岩崎恭子

番組概要

山崎育三郎が、小学校・野球チームの思い出に涙。 なんの説明もなく、キャッチャーだった山崎を大事な試合でピッチャーとして起用した監督の当時の思いとは?今、監督がその投手起用の理由を明らかにしたとき、育三郎の目に涙が。 岩崎恭子は中学2年生で、バルセロナ五輪・水泳の金メダルを獲得。その中学時代の同級生や恩師が登場し、当時の岩崎を取り巻く異常な事態などを語る!

公式ホームページ予告

今回は俳優山崎育三郎と
水泳金メダリストの岩崎恭子の同級生を徹底調査!
今だからこそ話せるマル秘エピソード続々!
恩師が18年越しに語る真実に、感動の涙・・・
金メダリストと人気俳優の知られざる過去が明らかに!

コメント

まずは競泳会のレジェンド、金メダリスト岩崎恭子さん。 沼津市立第五中学校の同級生クラスのムードメーカーのS君。アントニオ猪木の物まねが好きだったみたいっです。 現在は金属加工会社で技術者として働いて伊熱田。 実は新日本プロレスにはいり、猪木さんと一緒にプロレスラーの道を一時はあゆんだということ! すごいですね。 その後プロレスをやめて現在のお仕事をされているようです。 猪木さんの真似もやってくれましたがうまかったです。 せっかくなので沼津市立第五中学校に取材に行くとやはり学校中に岩崎さんの写真が。 やっぱり今でも出身者のヒーローですもんね。 恩師と同級生、校長先生も呼んでくれていました。 岩崎さんはお世話になった先生として校長先生を挙げていました、さすがッですね。 金メダリストになったあとやはり環境が大きく変わり、物が盗まれたりサインをねだられることも多く、ストーカーがいたりしたため学校まで車で送り迎えされていたようです。 そんなときにいろいろ守ってくれたのが校長先生だったようです。 そりゃそうですよね。。。大変でした。 明るくて、だれとでも仲良くできる活発な子、走るのも速かったようです。

次は山崎育三郎さん。 子役デビューする前、同じ港区立高輪台小学校出身の野球チームのチームメイト。 育三郎さんなんと全国8位までレギュラーで行き、西武球場で投げたこともあるらしいです。すごいですね。 当時4番バッターをしていたHくん。小学校の当時おとなしかったH君を育三郎さん自ら野球にスカウト。 H君勉強もできたらしく、東大に行ったといううわさもあったようです。 優しくで穏やか、でも足は遅かったようです、 育三郎さんはそんな彼はサラリーマンをやっていると予想。
しかし何と現在はアメリカサンディエゴにいるとのこと。 現在は研究者としてガンの基礎研究をされているようです。治療薬の開発につなげるという何とも人の役たつ立派な仕事。 すごいですねぇ。 ご親族をガンで亡くされたことからガンの研究を志したそうです。 素晴らしいですね。 育三郎さんに休み時間に毎日のように誘われて野球チームに入ったようです。 そんはHさんは育三郎さんの印象については。 小学校時代に6年生の最後の舞台で主役をされたとき、幕が閉まるときに感動して流した涙が、観客や先生も感動させたことが印象的で周りを動かす才能を感じたそうです。
続いて同じチームメイトのけんけんさん。 コーチのお子さんで兄弟そろって遊んだ、レストランの子供だったようです。 コーチはすごい厳しい人だったようで。自分の子供以外でも非常に厳しい人でした。 ムードメーカーで明るいマスコット的な存在を活かして、人とかかわるような接客業をされていると予想。 けんけんは現在は恵比寿でイタリアンの料理人になっていました。 お父さんと同じ料理人として修業し夢は自分をお店を持つこと。偉いですね。 当時の鬼コーチであるお父さんも出演してくれました。 全国大会のベスト8まで行ったとき、当時キャッチャーだった育三郎さん。 そこまで勝ち上がってきたのに、ベスト8の試合でなんとキャッチャーの育三郎さんがピッチャーに出ろと、監督から言われ。 投げたのですが、結局負けてしまったそうです。当時ピッチャーだったDさんもすごく悔しく泣いていたそうです。そりゃそうですよね。 育三郎さんも悔しいものそうだったけど、申し訳ない気持ちが今でもあるそうです。 しかし最後にキャッチャーをピッチャーにした謎の采配。その監督の真相を当時の監督に取材。
当時の監督は現在も当時と同じチームの監督を続けていました。 真相は試合直前にピッチャーやっている子が鼻血を出したことが理由です。 鼻血を出すと体調もそうですし、心も動揺するので、育三郎さんにピッチャーに据えたそうです。 負けたのは育三郎さんのせいではないよ。采配は今でも間違えではなかったと自信をもって言ってました。 この監督は中学でミュージカルの道を進むときも、野球との両立は難しいから頑張れと後押ししてくれたそうです。 素晴らしいですね。


あなたの同級生は!?

番組を見てあなたの幼馴染・同窓生を探したくなった方は本ホームページに書き込みをしてみてください。いつかきっと懐かしのあの人に会って素敵な思い出話に花を咲かせられますよ。
 

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