当時の今頃ニュース(3/26~4/01)

神代中学校 1975年卒業生('59/'60年生まれ)再会広場

「老人は切腹して集団自決」発言のN氏(イェール大学助教授の超インテリ)。この発言は数年前のことながら、某飲料メーカーCMへの彼の起用に対しSNS上で抗議が殺到!取り消しに。が、某省庁のPR冊子に、この一件の後であるにも関わらず!彼が大々的に起用されているのを国会で某議員が指摘、批判してくれていました(NHKの国会中継はこれをカット!)。なんとも恐ろしい話・・・こういう発想を持つ人物を国が起用したのですから。               このN氏は政府広報的な立ち位置にいるのが他の言動からも見えてきてメディアへの露出も増えています。奇妙な丸と四角の「おでん眼鏡の男」は殆どの人は見たことあるでしょう。以下、某コメント欄に記した、この人物に対する私の見解を転載します。                     『自分がエリートで人より秀でているという自覚が偏り、生産性という数字に基づいて他人の価値を計ろうとする。彼はまず老人を排除されるべきものとした。これがもし受け入れられれば、次は障害者や重病患者に矛先が向く。「生きている価値があるのか?」と。そして、いずれは思想を問うようになっていき、共産主義や政府の意向に逆らう者、同性愛者も排除の対象となる。                     歴史上のファシズムはこうして形成されていった・・・今、その芽がこの国にも見え始めている。その芽は今、摘んでおかなければ恐ろしいことになる。』
(2024/03/16 14:55:46:吾輩は猫であるではない)
前の投稿、急逝されたTULIPのベーシスト吉田さんについての続きです。 Z氏と和解してのステージ共演は叶わなかった無念・・・Z氏の上昇志向はプロとして当然、他のメンバーに対して厳しく接するのもリーダーとして当たり前のこと・・・それは自分自身の創造活動での振る舞いからも深く共感するところです。 ただ、ギャラの高低が設置され吉田さんとドラマー上田さんが脱退してからのZ氏の上昇志向に基づくメンバーの変遷とそのサウンドの変化を辿ると、それを繰り返す毎にZ氏のワンマンバンドの色彩が濃くなっていき技術的には上昇するものの魅力は衰えていくように私には思えました。 そして何よりもZ氏の表情に陰りを捉えたのですが、その表情が明るさを取り戻したのは第一期のメンバーとTULIPを再結成(ただし吉田さんは不在)した時でした。 この流れから強く再認識したことがあります。バンドにおいて技術以上にサウンドに影響を及ぼすのはメンバーの共通体験、共通認識であろうこと・・・Tulip第一期の五人は全員が福岡出身の福岡育ち、そしてビートルズへの強烈な憧れ!という共通の認識と背景があり、それが音楽を奏でる動機となっていました。これは技術とは全く別の要素。さらにはプロを目指して故郷福岡から上京する!その時の希望と不安!という大きな共通体験。そうした精神的絆が『サウンド』という一つの塊を創造するにあたり強く影響として反映するし、その魅力はそこから発するものであって技術の高低によるものではない。 ビートルズに強く憧れた福岡の若者によるサウンドは第一期のTULIP独自のもので、そこに吉田さんのベースは不可欠だった!これがTULIPに関する私の見解であり、普遍的にあらゆるバンドに該当するであろうことです。 ビートルズもそうでした。プレスリーに憧れたリバプールの若者四人。解散後、ソロとなってそれぞれ一流のプレイヤー達と共演しますが、ビートルズを越えることはありませんでした。リンゴより上手いドラマーは掃いて棄てるほどいますが、リンゴじゃなきゃビートルズにはなり得ない。『サウンド』とはそういうものであり、音楽の魅力はそこにある。 ヒゲとメガネのベーシスト吉田さん、あなたは素晴らしいミュージシャンでした。合掌
(2024/03/01 14:53:43:吾輩は猫であるではない)
 「心の旅」というTULIPの曲が大ヒットしたのは私達が二年生の時(‘74)でしたね。当時、硬派のロックかアコースティック一本のフォークか、どちらかしかなかった時代・・・ロックの編成でフォークに近い曲を演奏する珍しいバンドでした(目指してるのはもろに後期ビートルズサウンドなのは明白!)。 「心の旅」がリリースされるよりしばらく前、13歳の私は彼らのデビュー曲「魔法の黄色い靴」の不思議なコード進行とメロディに一聴き惚れ!すでにアルバムを持っていたんですが、その後も福岡出身の ゙最初の五人゙ による第一期の ゙LP゙ は全て揃えてました。 その初期メンバーのベーシスト吉田彰さん・・・残念ながら先月中旬に急逝。五人並んだ姿の中、ヒゲとメガネの風貌が一際アクセントとなる存在感を放っていた方です。 この人が退団してからのTULIPはなんだか別のもののように思え、私は聴かなくなってしまいました。上昇志向の強いリーダーのZ氏(松田聖子の楽曲提供など作曲家としても成功)からはテクニックの点などから十分な信頼を得ていなかった様子がその後のやり取りから伺え、デビュー時には五当分だったギャラもその後 ゙働ぎ に応じて高低が設けられ、これがメンバー間でかなりの差となった模様。これがきっかけとなり吉田さんは脱退、乃木坂にある珈琲店のマスターに転職されました。 話飛びますが高校の時、2年7 組のギター仲間だったO君の紹介で府中西高校のTULIPコピーバンドにリードギターとして私は参加することになり、二度ほど府中でライヴをやったことがあります。 このバンドのリーダーがその後、吉田さんの珈琲店の常連客となり一緒に野球までする仲に。私も彼に誘われてお店に一度、それと彼にチケットを手配してもらったビリー・ジョエルの武道館公演に吉田さんもすぐ側の席にいらしたり!で、二度ほど、ご本人にお会いする機会がありました。そんなこともあり75歳での急逝はとても寂しく感じます。 特に、学生時代からの音楽仲間だったリーダーのZ氏と様々確執があったようなのですが、いつか和解してステージで共演して欲しかった! 何から何までビートルズの真似をしないと気のすまないTULIPでしたから、解散時のジョンとポールの不仲まで真似しちゃったのか?と、それなら二人が仲直りするところまで真似して欲しかった!
(2024/03/01 13:55:54:吾輩は猫であるではない)
2年7組グリコさん、おめでとうございます。咲蘭房(さくらんぼう)行かれたんですね!私が常連だったのは20代の頃・・・ビル・エヴァンス(ピアノ)がよくかかるお気に入りの店。当時、ここで植草甚一という映画、ジャズ評論家の本をよく読んでました。当時の店主はいつも黒づくめの服装の中年の女性で、息子なのか?20歳位の若い男の子が手伝ってました。今のマスターはジャズ楽団でトロンボーンを吹いていた演奏家でフランク・シナトラの伴奏もしたことがあるのを誇りにされてます。他にも有名な歌手のレコーディングも沢山参加されていて客商売の物腰のなか、ふとプライドの高さが覗く時が!数年前、久々に行った時のことをここにも書きましたがアンティークな店内の内装は昔のままでした。今度はゆっくりできる時に行けるといいですね。音楽喫茶と言えば、布田に「ろ」茶房というのもあって神中卒の連中のたまり場になってたけど今はあるのかな??ここはロックが中心にかかるシックな雰囲気の店でしたね。 毎度、長文でごめんなさい。簡潔な文章を書こうとすると三倍時間がかかってしまうんです(笑)。私の書いた内容はスルーで全然構いませんので、気が向いた時はどんどん書き込んで下さいね~。
(2024/01/02 01:02:20:吾輩は猫であるではない)
明けましておめでとうございます なかなか長文を読むのが苦手です ごめんなさいね 12月に柴崎のサクランボへ時間調整の為に寄りました マスターお一人で、午前中のせいか他にはお客様は居なくて、4人で珈琲を注文したら、豆を挽いて、手作業でドリップした珈琲を待つ事15分過ぎ、ハラハラしながら、慌てて飲み、何とか時間に間に合いました。 お店中は、クリスマスの手作りのパッチワークキルトが沢山飾ってあり、落ち着いたトーンの色で、落ち着いた雰囲気でした
(2024/01/01 22:26:45:グリコ)
明けてしまいまして、おめでとうございます。冗長な駄文を連ねてばかりですみません!本当は改行したり空欄をあけたりして読みやすくしたいのですが、投稿すると一塊になっちゃうんです。今年の年賀状は初めて!年が明ける前に作成、投函しました。子供の頃から年が明けてないのに「おめでとう!」と書くのは納得できず正月に年賀状を書く習慣がありましたが、この数年、愛描の病や度重なるプリンターの故障などでひどく届けるのが遅くなってしまったので今回はとにかく松の内に届くことを最優先!例年は自分でデザインする文面も印刷屋さんに任せてスピード重視。どうにかクリスマスから大晦日の夕方までに投函終了!と、世間に向けて正月行事をしたものの自分的にはなんら正月と言うべき日常との違いはなく雑事に追われるのみの元旦でした。大晦日のテレビで紅白を見たり、明けて芸能人隠し芸大会を家族と見た昔が懐かしい・・・今の私はYou tubeとラジオ専門。昔は聞かなかったAMの番組もよく聞きます。政治的にはテレビよりずっと自由が維持されてます。というのも、テレビは政府関連の機関が全て内容をチェックしている(共産圏か!)のに対してラジオにはそれが及んでいないのだとか。だからテレビよりば本当のこどがずっと語られているようです。この元旦、楽しみにしていた番組も本当のことをしゃべり過ぎてテレビを干された経済アナリストのMさん親子(息子も同業)の特別番組。が、北陸で地震が起きたので途中何度も収録済みの内容がかき消され、妨害?と思いかけたものの他局でも津波が迫る危険を番組中断で伝えていました。かなりの津波とのこと、そうなると小浜の原発は大丈夫なのだろうか?日本海側の人達、どうかご無事を祈っています。と、海の向こうでは二つも大きな戦争が起きてるし。本当はずっと気になってますが、語りだすと自分は止め処がなくなる・・・世界で一番嫌いなものは戦争!と、元旦なので今日はその一言で。話変わり、昨年読んだ本で一番面白かったのは、やはり「赤毛のアン」でした。まるで俳優の訓練のようなアンの想像癖や生真面目すぎる堅物の養母マリラの心がアンとの交流を通じて氷解していく様がとても良かった。19世紀のカナダも昭和の日本も女の子達の有り様って変わらないんだな、というのも多々感ずるところでした。と、ここで字数一杯また今度!良い一年となりますように!
(2024/01/01 21:10:10:吾輩は猫であるではない)
高校の時からの音楽仲間と久々に長電話。在校時、学校行事でマリンバ演奏の鑑賞会があった時、彼は強い感銘と共に「自分も演奏してみたい!」と思ったんだそうだ。 しかし、その意欲以上に引っ込み思案な性格が勝ってしまい、片手にバチを二本も三本も持つ(!)ような「あんな凄いことができるわけない・・・」とも思ってしまい実行する前から断念。半世紀近くが経った今、そのことを「なぜあの時やらなかったのか!いきなり二本、三本は無理でも基本からコツコツやれば今頃はそこそこ演奏できただろうに」と後悔しきりなのだそうだ。と、それを聞いて私としては「なんで今からじゃダメなの?」と思ってしまう。確かに三度目の成人式は過ぎたけど、それでもう人生新しい展開はないかのように思うのは早すぎないかい?あるご婦人は80歳で写真を趣味にし始め、85歳で個展を開いたそうだ。なんて素敵な話だろう!昨年、出逢った別の80代女性は私が40年前卒業した大学に今まさに通って文学を学んでいる学生さん(女学生!?)だった。80歳で新しい趣味や学問にトライする彼女達から見たら三度目の成人式を過ぎたばかりの私達の年齢がどれだけ羨ましいことだろう?と、以前から思っていた自分としては『カッコいい80歳。括弧笑い』を目指して自分に欠けてる様々を埋め合わせていきたいと思ってる(全然はかどらないんだけどね w)。若い頃は時間さえあれば、その全てを何かにエネルギーを注ぐことができたけれど、今は時間があったからといって気力があるとは限らずボーッとして過ごす時間が増えたのは確か。でも、気力のある時をそうして何かに注ぐことがなければ全部がボーッとする時間になりかねない!それが悪いとは言わないけれど、そうして人は労れるばかりのご老人となっていくのだろう。あれこれ手を出すばかりで何一つモノになっていない自分ではあるけれど、天才っていうのは前世でものすごく努力した人なんだと思ってる。だから今生中途半端で終わったとしても来世で天才として生まれる可能性を楽しみに(笑)。あの世に家やお金は持っていけないけれど、魂に刻み込んだことは永遠!・・・と思ってたら、たまたま通りかかった教会の壁に同じ意味のことを書いて貼ってあったのを見て驚いたことがある!(コリント人への第二の手紙、だったかな?)私は宗教なんて持ってなくて、強いて言えばビートルズ教の信者だけどさ w
(2023/12/07 11:51:58:吾輩は猫であるではない)
ハリウッド版の「キングコング対ゴジラ」・・・最新のCG技術満載のリアル?な映像なわけだけど、実写作品とはいえ当然ながら怪獣に関しては ゙実体のない゙ アニメなんだよな。ほぼ60年前の円谷英二監督による東宝オリジナルは中に人が入って演じる日本独自の着ぐるみ怪獣で、今の感覚からするといかにも前時代的な特撮に思えるのだけど、しかし!着ぐるみとはいえこちらは『実体として存在』するものを工夫を凝らして巨大に見えるようにカメラに納めている。その実体として存在するものかどうかの差をとても感じてしまい、60年前の東宝作品の方がずっとリアリティがあるように思えてしまった。アメリカのSFX等と呼ばれる特殊撮影は徹底したリアルを追及しているのだろうし、怪獣とても生物としての実感!を半端なく出そうとしている。これに比べると日本の着ぐるみ怪獣はいかにも時代遅れのようだが「さにあらず!」と僕は思う。これは日本独自の様式の文化なのだ。それは歌舞伎と同じこと。歌舞伎はリアリズムの芸術ではなく、一挙一動もセリフもすべてが現実とはかけ離れた様式性の中で描かれる。西洋ならバレーやオペラも同じく。現実をデフォルメして描きながら、しかし観る側にとてもリアルな感情を掻き立てるし演じる側も内面においてはリアリティを造り上げている。昔の日本のゴジラはこれなんだと思う。ああ、中に人が入ってる、というのがわかってしまうような粗も結構ありながら、しかし、着ぐるみだろうがなんだろうがこれは『実体』が存在するものをカメラに納めている点においてまさに「本物」のリアリティがある。そして粗の部分は観賞する側が想像力で補っている。この相互作用によって構築される60年前の「特撮」のリアリティに対して、実体の存在しないものを二次元で描こうとするCGはまだ追い付いていないように思えてしまうハリウッド版キンゴジだった。監督のアダム・ウィンガードは低予算のサスペンスで良作を作ってきたけど、まだ若手の方の人。俳優もとくに有名な人は出ておらず、ひょっとしたらこれは予算のかかったB級作品なのかもしれない。
(2023/11/26 21:09:52:吾輩は猫であるではない)
ふとPCに向かっている時、音楽ソフトの中にあるクラシックのアルバムから「第二楽章」ばかり集めたフォルダーを作ってみたくなった!クラシックはよく聴くものの管楽器がブンチャカと張り切るのがあまり好きではない。が、第二楽章というのは大概アダージョ=緩やかに美しいメロディを奏でると決まってるので、聴き込むというより本を読む時の背景に静かに流すにはこれがちょうど良い。で、コレクションから第二楽章ばかり集めてみたら計六時間ほどのオオムニバス曲集ができた!中には室内楽やギターソロ、久石譲のオーケストラ曲などもまぶしてメリハリを付けてみた。早速、ここ数日にわかに三度目の3日坊主となるかどうかのハングルの勉強のバックに流してみたら、これは良い!実にいい!ボケ防止の学習を優しく脳細胞をマッサージしてもらいながら進めることが出来そうだ。            ハングルの勉強の方は、好きなミュージシャンや俳優の名前をハングルで書いて壁に貼ったりしてる。ジョン・レノンがチョンレノ(ng)、ジョージ・ハリスンがチョジハリスン、ノーキー・エドワースはノキエドゥワズになったりして面白い!(韓国語は伸ばす音がない)ジュリー・アンドリュースはジュリアンドゥリュズみたいな感じ。と、考えてみれば普段自分が口にしているこのカタカナ表記とて原語からすれば、かなり変なものなんだろうなと気づく。ポール・マッカートニーが日本公演でBEATLESを日本語風に言おうとして、すごく言いにくそうに「ビットルズゥ~」と日本語の特色である、悉く母音が混じる発音の最後をことに強調して「ズゥ~」とやっていた。そうだよなぁ、彼らの発音なら殆ど「ビィトゥz」で最後のSにあたるzの音なんて聞こえないもんなぁ。ポールにしてみれば「ビートルズ」なんて変な発音しやがって!てところだろう。Paul だって「ポール」じゃないし。原語なら殆ど「ポゥ」だもんなぁ。俺たち変な言葉しゃべってんだなぁ。と、ハングル学びながら気づかされた雨の降るよい天気の日曜日です。
(2023/10/15 16:01:04:吾輩は猫であるではない)
愛猫を連れて獣医へ行き待ってる間だけウチにはないテレビのニュースを見た。そのたった数分間だけでもウソだらけの報道がされていることに驚く!10月から始まるインボイス(免税事業者が預り金を返す?)、消費税の実態(社会保障の財源?)、強行された福島の汚染水の海への放出(科学的に安全が立証されている?)・・・ネットの情報を選んで接している自分には、それが明らかに政府に都合よく脚色されたものとわかる。これを大多数の国民が見て疑うこともなく信じてしまうのか?まるで戦時中のラジオ、新聞、大本営発令と変わらない。関西では、世の中を競争主義で格差を拡大、賭博で経済を活性させようという893のような政党が明らかにテレビの影響で人気を得て議席を倍増させた。自分はテレビを信用しなくなってもう10年以上になるが、世の中のテレビ信者ぶりは如何ばかりか?私たちが生まれた頃、普及率がピークに達したテレビ。その人気に拍車をかけたのは力道山のプロレスだった。敗戦の記憶もまだ新しい頃、空手チョップで大きなアメリカ人を倒して見せる゙エンターテイメンドに日本人は熱狂したが、当時、これを勝敗が最初から決まっているショーであることを知っている人は少なく多くの人はこれを゙真剣勝負゙と疑わず夢中でブラウン管に見入った。が、その実態は「真剣勝負を装った格闘パフォーマンス」であることを今では誰でも知っている。思うに、これが ゙テレビの本質゙ではないだろうか?『リアルを装ったギミック』を提供する装置。事実ではないことを本当らしくアレンジ、編集して、ある意図に基づいて番組という形で全国に伝える。娯楽としてのドラマはその代表だがプロレス同様エンタメはそれでいい。が、テレビの最大使命は視聴率を上げてCMを見せること。番組は視聴者の関心を引き留めるための二次的な手段に過ぎない。その合間、合間に呪文のように視聴者の脳裏に刻み込む商品イメージがテレビの存在理由。つまりは企業の利益、利害が何よりも重要であり、それは *事実を伝えることよりも優先される* そしてテレビにCMを流すことが可能なのは潤沢な資金を備えた大企業に限られる。その大企業の利益のために政治をしているのが現与党。となれば、大企業をスポンサーとするテレビで放映される内容はニュースといえども!限定される。テレビに映る全ては必然!・・・プロレスなのだ。
(2023/09/29 07:56:06:吾輩は猫であるではない)
独りよがりな長文を次々と書き連ねていてすみません。たまに自分で読み返すと、ありゃりゃ!なところ、直したいところだらけ。字も間違ってたりで恥ずかしい。このコメント欄は書き直しが出来ないので、投稿する前に一応読み直してはいるのだけど、7mmくらいしかない書き込み枠には一度に二行しか表示されずで気づかないこと多し、です。本当なら改行や空欄も使うところ、書く時に空欄を作っても投稿すると『塊!』になってしまい『独りよがり度』が倍増される仕組みになっています。           神中三年生の時、国語の授業で私の書いた作文をS先生(確か三組の担任)がみんなの前で読み上げて下さったことがありました。何を書いたのか?その時のS先生のお声と「人間の人間的な進歩と言えよう」という一節があったのだけ覚えています。人の声って50年経っても覚えているもんですね。学年の担任の先生達の声、思い出せる。なのに、自分の声は全然わからない。友達も同じ班だとか親しかった人の声は覚えてますね。話それた。S先生に作文読み上げられたのと、もひとつ、一年生の時、班ノートに書いたことを担任のM先生(体育、陸上部顧問)から赤字で「哲学的でなかなか面白かったぞ」と返事を頂いたことがあり、先生にしてみれば何の気なしのコメントだったことでしょうけれど13歳の少年にとっては、そういうのがえらく自信に繋がってしまうわけで(逆の場合も多いでしょうね)、この二つの記憶が50年後の私をして神中においてはこのような「独りよがり」が許される、と思ってしまう潜在意識からの作用を形成しているのではないかと自己分析する次第です(人のせいにすな!)。それを思うと十代までの周囲から受ける言葉の影響って大きいな、と。友達からの言葉では、ギター仲間のF君の「君はどん底から這い上がる男だ!」というやたら大仰なのがあって、布田天神を自転車で走り抜けた時、という状況まで伴って覚えています。殆どふざけて言ったことのはずですが、実際、後に幾度となく襲われた人生のどん底の度、これを言われた瞬間の布田天神の夕方の光景が脳裏に甦るのは確かです。歴史のS先生(自称28歳w)の最初の授業で教わったチグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア文明というのも忘れてないわけで、つくづく十代までの柔軟極まる脳と感覚の浸透度の高さ、影響の大きさ、怖いものさえありますね。
(2023/09/06 12:29:43:吾輩は猫であるではない)
7年ほど前だったか?「東京スタンピード」という小説の朗読劇に出演しました。メインに私を含むプロの俳優四人。その他大勢を声優学校の精鋭たちで、手塚治虫のアシスタント出身の音響監督の方によるかなりアクティブな演出での上演。作者は森達也氏!オーム真理教や東京新聞の強者記者IMさん(♀)のドキュメンタリー作品で知られる映画監督にして作家。私は不覚にも、この舞台に参加するまで氏のことを知らずにいましたが、作品を読んで即!強い共感を抱きました。普通の善良な人間達が集団と化した時、個々の人格とは別の意思を持った怪物のような存在に成りかねない様を描いた作品。オーム真理教がそうだったでしょうし、戦争で起こる虐○も特別悪人が行うわけではなく普通の人間が、ある極限状況に置かれた時に鬼と化してしまう恐ろしさ。そうした「集団化した人間」に対する警鐘というのが森達也氏が一貫して描く世界。この朗読劇の時は稽古に一度、本番でも演出家とのアフタートークや打ち上げにも来て下さり、お話する機会も得ました。この森達也氏が初めて劇映画の監督をされた作品が今月から公開されています。『福田村事件』・・・丁度100年前の9月!関東大震災!流言蜚語により数千の朝鮮人が虐○されていますが、方言が理由で朝鮮人と間違われて犠牲となった香川県の行商人達がいたそうです。この事件を題材に、なぜ、どのような経緯で普段は全く善良な人々が集団と化し、このような酷い事件の加害者となっていくのか?私の出演した朗読劇とも一貫したテーマを森さんは有名俳優達を贅沢に起用して描いています(オーディションがあったの知らず!不覚!)。もう映画館には二年も行ってませんが、これは劇場に足を運んで観なければ!と思っています。『福田村事件』各地の劇場で上映中です!森さんの著者もたいていの図書館にはあって特にメディアテラシーに関する本など、とても分かりやすくてお勧めです。
(2023/09/05 03:40:35:吾輩は猫であるではない)
ちむ(三才♀)=私のギターに合わせて尻尾を振ってた異様に小柄な白猫が三週間前から体調を崩し、一時は3日続けてごはんをほとんど食べず・・・三回に渡り病院へ。血液検査の結果はBun 73.0の腎不全と貧血。病院では点滴と注射を受けてウチでは薬を飲ませ、少し元気が戻り、少ないながら食べるようになったり、また食べなくなったりで、ここしばらく一喜一憂の毎日。ごはんをモシャモシャと食べてくれるだけでなんとも嬉しくなりホッとします。少ない量でも栄養とカロリーの取れる養生食だけやっと食べていたのが、この3日ほどかなり調子を取り戻し、今日はずっと食べようとしなかったおやつを食べてくれた!私がどら焼を食べると毎度、妹のはると一緒に「ちょーだいな!」とやってくるのが常だったのが、この三週間、ねだってくるのは妹だけ。それが今日は久々に、二人揃っておねだり!どら焼をちぎってやると仲良く食べてくれた!調子の悪い間、私の視界に入らない場所で寝ていたのも、この3日間は私の枕に戻ってきて私の腕枕で眠るようにも・・・まだ若いので免疫力に期待。どうかこのまま回復してくれますように!
(2023/08/31 08:35:41:吾輩は猫であるではない)
幾人かの知人達と旅行をしている夢を見た。何故か昭和天皇がそのメンバーにいる。解散の時「この人は天皇なので、ちゃんと家まで送ってあげないといけない」と夢の中で思った・・・小柄な陛下が夢の中ではさらに小柄なお姿だった。ところで、今の天皇陛下、私は好きです。だってご幼少の折、初めてお小遣いで買った本が「怪獣図鑑」で、シェ~!までなされ奉った同世代の日本の象徴!ですもの。共感しきりです(ハートマーク)。
(2023/08/23 13:55:10:吾輩は猫であるではない)
ゴキホイの中を確認したら、ヤモリがペッタリと貼り付いていた。昨年も同じことがあったが、紙切れに見えてヤモリと気づいたのは一週間も経ってから。が、それでも絶命しておらず30分かけて救助したことがある。今年も同じことをするはめに・・・爪楊枝の尖ってない方でつつくとピクッと動いた。案の定、生きている!ヤモホイと化したゴキホイを外に持っていき、ヤモリの周囲にサラダ油をちょろっと垂らす。無理に剥がさないよう少しずつヤモリと接着剤の僅かな隙間に油が入っていくようにする。爪楊枝で慎重に油が浸透した様子の部分から少~しずつ剥がしてやる。侵入時にもがいたのだろう、尻尾がすでに契れて胴体から離れていた。まずは左後ろ足が解放され、吸盤のついた足の甲かクワッと開く。徐々にお腹もうまく剥がれ、昨年30分かかったのに比べると結構スムーズに運ぶ。油で溺れないよう気をつけながら頭部を剥がすことにも成功!尻尾はもげているものの、自分で歩く力をまだ残しており、雑草の中に消えていった。救助完了!ここで気になったのはその横で必死もがいていた小柄な茶色いゴキブリ・・・なんだか不公平にも感じ、外で生きる分には良かろうとこいつも助けてやろうとちょこっと油を垂らした。で、わりと簡単に解放できたのだが、元気よくもがいていたのが数秒で動かなくなってしまった!どうやら油で溺れてしまったらしい。ほんの数秒だったのに!しかたなく草むらに葬り、敷地内の植物に水をやってから、そこに戻ると今度は青く光ったカナヘビがいる!と、私が葬ったゴキ君を咥えているではないか!そして、しきりに頭をふる。そのご馳走が口から離れ飛んでしまうとシャカシャカと近づき、また咥えてはしきりに頭を降る。1mと離れていない地点から見下ろす私を怖がりもせず、それを繰り返し、日向のよく見える場所にまで来る大サービス。そうして振ることでご馳走の足など突起部分が契れて飛びはねる。どうやら食べやすくしているらしい。と、ダルマ状になったところで、やおら飲み込み始めた!小柄なゴキとはいえ自分の頭よりわずかに大きい位のそれを見事に平らげてしまった。と、またチョロチョロとあっちこっちと動き、跳び跳ねたゴキの足も探し当ててしっかり口の中へ。助けてやろうと思ったゴキブリがサラダ油付けのトカゲの昼食になろうとは!おぞましくもささやかな自然界との接触・・・合掌。
(2023/08/21 18:11:03:吾輩は猫であるではない)
「帰らざる河」(‘54)というマリリン・モンロー主演の古い西部劇を観た(DVD)。特に目当てもなく図書館に行き、スマホにメモしておいた「観たい映画」リストにそのタイトルがあったからなのだが、そのタイトルを書き込んだ記憶は全くなく、特に興味がある作品でもなく、何故そのタイトルがあるのか??多分、他の作品で見つけたお気に入りの脇役俳優が出演してるのでメモっておいたのを忘れたのだろう。そう思って借りてきたのだが、主演のモンローとロバート・ミッチャム以外に知ってる俳優はキャストにおらず。主演の二人も特に好きな俳優でもなく、監督も同じく・・・なぜスマホのリストにこの作品のタイトルを書き込んだのか?自分以外にメモるはずもなく最後までわからずじまい。うう、もどかしい!まぁ、作品は誰でも知ってる有名な主題歌を携えたものでマリリン・モンローの尋常ならざる存在感、西部劇ならではの広大な自然を見せるロケーションなど見て損にはならないものではあったけど。なぜ、これを観たいと思ってメモしたのか?理由もわからず記憶もない!不思議だ。
(2023/08/12 03:39:12:吾輩は猫であるではない)
自転車ドロボーと間違われ、しつこい聴取を受けるも途中で逃げたのだが、刑事たちが家まで追ってきて(自分の家だが見たことのない家)上がりこんでくる。冗談じゃない!と、私は怒りまくる・・・という夢を見た。夢の中では自分の家なのに見たこともない家だった。会ったこともない知らない人が夢に出てくることがあるが(今回の刑事たちもそう)、そういう人達は何処かに実在するのだろうか?
(2023/08/08 02:40:26:吾輩は猫であるではない)
年に一冊か二冊ずつ増えていってた雑学ノートがあります。一冊60p(30pの二冊を合体!)の厚いもの。主に歴史についてや苦手な漢字、読んだ本の気になった一節など書き込んでます。これが10数冊になってたのが、一昨年のノートがまだ9割白紙のまま未記入・・・その途絶えた時期を考えると丁度スマホを使い始めた頃に該当。以前なら、目が覚めて頭がスッキリしているうちに本を開いて「あ、この漢字読めるけど書けない」と思うと、そのノートに書き込んで練習したり、とそんなふうに使っていたのが、スマホを持って以来、目が覚めると真っ先にスイッチを入れるのが習慣化・・・情報を仕入れるのは良いのだけれど、様々のコメント欄についつい私見や、人様のコメントに同意や異論を書き込みたくなる。それで数時間を費やしてしまうこともしばしば。困るのは目が疲労困憊し体調にまで影響すること。そんなことを繰り返している自分に気付き、朝イチスマホは止めよう!と決心。どう考えても本に向かい白紙のままのノートにペンを使って何かを書く方がずっと身体にも頭脳にも良い気がする。 パソコンのモニターが壊れて使えなかったつい先日の2ヶ月は熱心にギターを練習するようになったのが、新しいモニターを入手後、また弾かなくなってしまった。数年前には丸半年間、パソコンのない生活を経験したが、圧倒的に読書量が増えた。で、自分の場合はアナログなノートへの書き込みや読書や楽器の練習の方がずっと充実した行動に思える。問題はバランスなのだろう。スマホとかパソコン(ネット)は中毒になる恐れを有している。なんとなくスイッチを入れてしまい、不毛の時間を過ごすことになりやすい。必要があって求めた情報ではなく、ネットが勝手にあれやこれやと示してきて、よほど重要なものなら良いけれど殆どはそうでもない。最悪なのは、自分がコメント欄に投稿した意見にケンカ同然の口調で返信を寄越された時。大抵はやり過ごすけれど、つい反論したくなり、読むだけで大変な長文を返して黙らせる・・・この時間とエネルギー、果たして有益なものと言えるのか?        と、九割白紙のままの一昨年の雑学ノートに気づき、Get Back to アナログの世界=お前のもといた場所へ帰れ!と言われてる気がした。と、言いつつ、それをこうしてスマホで書き込んでいる矛盾 w いかん、いかん、また目が疲れてしまう!
(2023/07/22 09:17:34:吾輩は猫であるではない)
読者体験についての前の投稿で、少年時代の自分を「漫画と怪獣でいっぱいのおつむ」と書きましたが、ひとつ忘れてました。五年生から六年生にかけての二年間はさにあらず!急に知識欲に駆られ、科学や理科の本を読むようになり、原子、電子、陽子、中性子なんて言葉を覚え始め、で、CQアマチュア無線協会と言ったか?エレクトロニクスの基礎的知識についての通信教育を受講しました。これについて親は一切関知してません。あくまで自分で興味を持っただけ。受講料はなんとかお年玉全額で賄える位、五千円位だったかな?中間周波数446Hzなんて今も覚えてる(442だったかな?自信なしw)。この通信教育の目玉はラジオの組み立て!五球スーパーという真空管(!)を五つも使用した、かなりちゃんとしたラジオ!この通信教育、隣の隣に住んでる同窓生T君(神中ではバスケで活躍)も一緒に受けており、そのラジオも一緒に作りました。で、私の作ったラジオは鳴ったのだけど、T君のは鳴らなくて、ヒステリー起こして帰っていったの覚えてます(バラしてごめん)。でも彼はその後、そっち方面の日本のトップ企業に就職し海外勤務までするんですから、不良ミュージシャンに成り果てた私よりずうっと人類に貢献されてます。その時、もう一人同じ興味で仲良しだったK君(三年生の時、7組)は別の会社の似たような通信教育受けていて、やっぱりラジオを組み立てたりしてました。で、彼はその後、電通大学の先生に。当時、読んでいた雑誌に『ラジオの製作』なんて月刊誌があって、それに作り方が載ってる様々な機械など秋葉原へ部品を買いに行って組み立てたり、などと、スマホの扱いもろくにわからない私が!信じられないことしてました。そうして作ったものにはインターホンなんかもあったなぁ。今思うと結構スーパーな小学生!当時は完全にそういう技術系の世界に進むつもりでいました。その私の人生を見事にシャッフル!トータルリコールしてくれたのが、中1の夏に目覚めたビートルズ!だったわけですね~。その後の私は別人のように機械オンチのアナログ人間に変身!ずっと後、音楽活動を遠ざかったのもデジタル化の波についていけなかったのが大きな理由のひとつ。ああ、エレクトロニクス少年だった11歳の私よ、お前はいずこに?w
(2023/07/22 00:19:53:吾輩は猫であるではない)
中学に入学してもなお本を読む習慣がなかった私を変えてくれたのは、二年生で同じ7組になったギター仲間のF君です。ちょうど50年前、1973年のこと。「これは君に向いてるよ」と彼が私に差し出したのは星新一の『きまぐれロボット』!わぁ、ロボット大好き!(小さい頃、私は大きくなったら鉄人28号になるんだ、と思っていた)。ショートショートで知られる短編集、一話が2~3ページで終わっちゃう!これなら読める!面白い!初めて活字に夢中で取り組みました。興味を持てば人一倍のめり込む質につき、それから20~30冊くらい星新一は読んだでしょうか。面白いだけでなくて結構衝撃的な内容のものもあり、ともかく活字に親しみ読書の習慣を持つきっかけになりました。星新一には豊臣秀頼を描いた「城のなかの人」や製薬会社の社長だった彼の父を描いた「人民は弱し官吏は強し」などの長編もあり、自然に長めの文章への耐性も養われました。この長編二作はとても印象に残る作品。特に後者は、権力が都合の悪い存在に対してどのような罠を仕掛けてくるか?そこにメディアがどう絡んでくるか?ということが描かれ私の世界観に強く影響を及ぼしました。興味は星新一自身が感化を受けた作家に広がりレイ・ブラッドベリに夢中に。「太陽の黄金の林檎」「10月はたそがれの国」など詩的でダークな世界にのめり込みました。この作家は手塚治虫や小松左京などSFに関わる人は悉く影響された人物。同時にその頃(19歳)読んだのがO・ヘンリで、赤塚不二夫の漫画で読んだお話も随分あったりですんなりと。で、決定的に財産になったのはその後、夜学の短大から編入した英文科の米文学史の授業で読まされた10 冊。これが私には初めての文学体験。「アンクルトムの小屋」「心は孤独な狩人」のような長編から「ティファニーで朝食を」のような短めのまで様々。マラマッドとかカポーティとか、漫画と怪獣で一杯のおつむだった少年時代とは確実に一線を画す世界に触れました。これのおかげで物の見え方や映画の見方も随分変わったのは確か。でも落ちがあって、この米文学史の授業、そうして三週間毎に文学に接し原稿用紙5枚のレポートを全て提出した挙げ句、年度末の試験で落とされ、単位もらえず!学部でも一番厳しい教授で知られる人だっただけに、拙い私の感覚では何かが至らなかったようでした。若い頃の読書体験・・・字数一杯!
(2023/07/06 15:13:16:吾輩は猫であるではない)
スタンプ
足あと
メール登録
Name
削除パス

ページの先頭へ