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沿革
1873年(明治6年) - 学制により第17番正倫学校として創立
1876年(明治9年) - 愛知郡第58学区中根学校と改称
1882年(明治15年) - 愛知郡第54小学区中根学校と改称
1886年(明治19年) - 愛知郡第24学区尋常小学広路学校分校に改組
1892年(明治25年) - 愛知郡中根尋常小学校と改称
1894年(明治27年) - 中根牛山に移転
1907年(明治40年) - 愛知郡瑞穂尋常高等小学校分校に改組
1915年(大正4年) - 愛知郡弥富尋常小学校として独立
1921年(昭和10年) - 名古屋市編入により名古屋市立弥富尋常小学校と改称
1941年(昭和16年) - 国民学校令により名古屋市弥富国民学校と改称
1947年(昭和22年) - 新学制導入により名古屋市立弥富小学校と改称
1954年(昭和29年) - 名古屋市立陽明小学校が分離
1971年(昭和46年) - 名古屋市立中根小学校が分離
1973年(昭和48年) - 創立100周年記念式典を挙行
2014年 (平成26年) - 創立140周年記念式典を挙行
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである。
1872年(明治5年)に学制が発布され、近代教育機関としての学校の設立が各地で進められることとなったが、現在の瑞穂区にあたる区域においては従来の寺子屋を母体として、小学校が設置されることとなったという。その過程で、愛知県第2中学区第17番小学正倫学校として設立されることとなった。前身は1850年(嘉永3年)に観音寺(丸根町)境内に開業した「十尋堂」と称する寺子屋で、学制発布の1872年(明治5年)に廃業したという。第17番小学正倫学校は十尋堂と同じく観音寺の境内に設置され、当時の愛知郡中根村と同郡八事村をその通学区域とした。開校翌年にあたる1874年(明治7年)の『文部省第二年報』「学校表」には、教員は男性が2人で、男子生徒54人・女子生徒22人と記録されているという。
のちに所在地の村名を採って中根学校と改めた。これは、1876年(明治9年)9月に学校名を全て地名により命名するという方針が打ち出されたからである。観音寺の隣地に所在する法蔵寺(軍水町)に移ったというが、このときは法蔵寺と観音寺を1年交代で使用したとされる。
1886年(明治19年)に学制に代わり小学校令が出されると、学校の改廃が行われることとなり、愛知郡第24学区尋常小学校広路学校(のちの名古屋市立広路小学校)に吸収されることとなった。学校自体は分校として存続し、のちに中根尋常小学校として再び独立を果たすこととなる。校地は1894年(明治27年)に中根牛山に移され、以来移転していない。
当時の中根尋常小学校の様子を『わたしたちの弥富』が書き残しており、教室は1・2年生の教室と3・4年生の教室の2室しかなく(当時の小学校の就学年限は4年)、複式学級となっていたとしている。
1907年(明治40年)に至ると、再び小学校数の整理が行われることとなった。中根尋常小学校は瑞穂尋常小学校と統合の上、瑞穂尋常高等小学校と改組され、中根の校舎は同校の分校の扱いとなった。
しかし瑞穂尋常小学校の記録によると、当時の同校の就学児童数は約1600人とあり、校舎の増築を進めながら、授業を二部制にするなどの対策が採られるほどの規模に膨れあがっていた。これは学校の周辺が都市化してきたことによるものだという。
中根の分校も児童数が増加したことにより、1915年(大正4年)に再び、今度は弥富尋常小学校として独立を果たすことになった。
戦時体制が敷かれると、小学校は国民学校と改称し、弥富尋常小学校も弥富国民学校と改めた。また、戦況が厳しくなった1944年(昭和19年)7月には名古屋市学童集団疎開実施要項が制定され、翌年4月に80人の男子児童が岐阜県郡上郡嵩田村(現郡上市)北辰寺に、45人の女子児童が同村安楽寺に疎開することとなった。
沿革
1873年(明治6年) - 学制により第17番正倫学校として創立
1876年(明治9年) - 愛知郡第58学区中根学校と改称
1882年(明治15年) - 愛知郡第54小学区中根学校と改称
1886年(明治19年) - 愛知郡第24学区尋常小学広路学校分校に改組
1892年(明治25年) - 愛知郡中根尋常小学校と改称
1894年(明治27年) - 中根牛山に移転
1907年(明治40年) - 愛知郡瑞穂尋常高等小学校分校に改組
1915年(大正4年) - 愛知郡弥富尋常小学校として独立
1921年(昭和10年) - 名古屋市編入により名古屋市立弥富尋常小学校と改称
1941年(昭和16年) - 国民学校令により名古屋市弥富国民学校と改称
1947年(昭和22年) - 新学制導入により名古屋市立弥富小学校と改称
1954年(昭和29年) - 名古屋市立陽明小学校が分離
1971年(昭和46年) - 名古屋市立中根小学校が分離
1973年(昭和48年) - 創立100周年記念式典を挙行
2014年 (平成26年) - 創立140周年記念式典を挙行
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである。
wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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