北海道札幌東豊高等学校の告白

懐かしい北海道札幌東豊高等学校の記憶を共有するページです。

北海道札幌東豊高等学校の告白

北海道札幌東豊高等学校幼かったあの頃、言いたくても言えなかったこと。伝えたくても伝えられなかった想い。愛の告白や今なら言える秘密を打ち明けて見るのも。伝わるかどうかは分かりませんがここで打ち明けてみませんか。
※不特定多数に個人が特定デリケートな情報はお控えください。

北海道札幌東豊高等学校
告白の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)本当は大好きでした!










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の告白での記憶

告白での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 告白での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
告白在学中は毎日死ぬ思いで生きていました。登校するとき帰宅するときに意味もわからず泣いてしまったり。精神病のことは親にもついぞ理解されませんでした。卒業してからはこの三年間の意味を考えて絶望しました。それからしばらくはリハビリでした。しばらくは道ゆく人とすれ違うだけで吐きました。高校の名前を見て吐かなくなったのもわりと最近です。今は元気でやっています。趣味がなければ多分死んでいたでしょう。親とはその点で永遠に分かり合えないですが折り合いはつけられました。後悔もしていません。これが私の高校生活でした。さようなら。
告白吉野くんへ
告白恋の思い出に記載されている通り健康的な体、とても落ち着いてて清楚な姿(特に制服姿においては短ソックス履いているお嬢様スタイル)にはいつも目を追いかけていてなおかつ直向きで一生懸命で真剣に物事に取り組む姿は忘れられずに今でもその姿を思い出している自分がいます。清楚な姿(特に制服姿で短ソックス履いているお嬢様スタイル)をもっともっとこの目で焼き付けたかった。もっともっとお話をして色々と知りたかった。それぐらい好きで好きでたまりませんでした。
告白1986年に、一緒に卒業した女の子は、みんな大好き
告白草野さん付き合って下さい
告白私16歳彼女17歳の時淡い恋でした
告白本当は好きでした!
告白今さら告白します
告白本当はSがすきでした!でも、付き合う人ができたと聞いたので諦めていたのですが、別れたと友達から聞きました。今は俺のこと、どう思っていますか?
告白夢に出てきて思い出したよ。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
校庭校舎は、プレハブでその横にトタン屋根の自転車置き場がありました。
教室当時の特進科の教室は、新校舎内の冷暖房完備という恵まれた環境とは程遠く、教卓の横の1つの丸型石油ストーブしかなかった。その教室での3年間も、授業中に遊んでいるか・仲間と雑談に興じているか・模擬試験を受けているかの3つぐらいしかした記憶がない。しかし今にして思えば厳冬の中にあって、休み時間には暖を取るべく集まり昼近くになると周りに全員の弁当が並んでいた“1つの石油ストーブ”の存在を通して、まだまだヤンチャだった頃にしていたことの数々を時おり慈しむ様に思い出す。
校庭運動場の端に弓道場がありました。
運動会応援合戦が楽しかった
教室ストーブが石炭だったね〜
卒業式オレも、クラスの人から、吉本のこと、書いたと聞いた。オレも、吉本が、嫌いだ。勉強、できないし、人の事、言いまくってるけど、何も出来ないし、はんかくさい。学校、来るなと思った。一番、かっこ悪いし、変な顔。赤中、入った時、吉本の下手な絵が、貼ってあるのを見た。クラスの人が言う通り、足も遅いし、口うるさくしてれば、気が強く見えると思ってるから、ばか丸出し。吉本は、どっちにしても、気が弱ぇよな。
卒業式すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。)
プール六甲山の湧き水を引き込んでたので冷たかったし底がコケでぬるぬるしてよく滑った・・・
トイレ昔の校舎は「トイレ」というより汲み取り式の「便所」で、何故か決まった個室(大) の中に靴下が落ちていた。休み時間、「便所」に幾度に裸足になる奴がいて「ソイツじゃないか?」と噂になった。ソイツだった。まさかとは思ったが、どうやら用を足したあと自分の履いてた「靴下」を「トイレットペーパー」の代わりに使っていたそうだ。ソイツのクラスメイトはソイツの事を陰で「クソシタ・クツシタ」と呼び気持ち悪がり、卒業アルバムには「オェ!」と書かれていた。
校庭文化祭での、キャンプファイア


ページの先頭へ