新任の先生が言った一言が胸に刺さったまま過ぎた56年間。辛かった・・・ 私は、小学校入学する年の2月に母親が亡くなりました。それ以後、父親や兄弟(兄、姉)の育ててもらいました。 中学校2年生の時に、1年生の久保君が校舎内の廊下で泣きながら暴れているのを中に入って止めました。それを見ていたF木先生が「片親の貧しい家庭の子供だから」って突き放した言葉を投げかけた。私にもはっきりと聞こえました。境遇は私も同じ「片親のあ貧しい家庭の子」でした。自分が卑下、」非難されていると感じてその愛徳中学校が物凄く嫌いで嫌になりました。この56年間、幾度か同窓会の誘いがありましたが、すべて無視をしていました。が、今回は堀という親戚の同級生からの声掛けで卒業後は初めてで最後の同窓会に短時間出席をしました。懐かしい顔、優しい言葉をかけてくれる旧友たち。うれしい反面、F木先生も出席していたため、長年の感情が起伏する前に一番先に会場を後にしました。「もうこの村に来ることは、両親、兄貴と姉のお墓参りしか立ち入らない」と決心した日でした。2023年10月29日愛徳壮に於いて。本当に笠松小学校と愛徳中学校を卒業し、忘れていいと感じた1日でした。これからは京都市の伏見区の家族とともに、惨めだった日々を忘れ、楽しく穏やかに暮らしたいと願っています。「さのうなら、愛徳中学校」(11/09 17:46 名無し) |
新任の先生が言った一言が胸に刺さったまま過ぎた56年間。辛かった・・・(11/09 17:29 名無し) |
例)毎日この歌を聴いてました。 |